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2006年5月31日に行われた統一地方選挙では、盧武鉉政権の経済無策への批判やハンナラ党代表の化が更に進むものと見られる。-->
2006年8月、盧武鉉は任期切れとなった尹永哲憲法裁判所所長の後任に、全孝淑憲法裁判所裁判官を内定した。しかし任命手続きに法的な瑕疵があったことを理由に国会が同意せず、憲法裁判所所長の座が空位となった。
2006年10月、国家情報院は386世代民主化闘士が北朝鮮と通じてスパイ活動をしたとして、民主労働党の幹部などを国家保安法違反で逮捕した。しかし、捜査の指揮を執っていた金昇圭国家情報院院長が突如辞意を表明し、その後情報機関の長としては異例にも朝鮮日報へのインタビューに応じて捜査内容を語るという事件が発生した。同月、尹光雄国防部長官が辞任した。宥和政策に対する批判の高まりから統一部長官の李鍾も辞意を表明し、国連事務総長へ転出するため辞任した外交通商部長官の潘基文と合わせて、外交・安保の責任者がすべて入れ替わることとなった。
2006年11月、盧武鉉は憲法裁判所所長の指名を撤回した。盧武鉉は議場を占拠して任命同意案の採決を阻んだ国会を非難するとともに、指名撤回を「屈服」と表して、任期を終えることのできない最初の大統領にはなりたくないと述べた<ref>『大統領任期発言:その内容とは』、朝鮮日報、2006年11月29日</ref>。
2006年12月、盧武鉉は民主平和統一諮問会議の席上で、韓国の国防力に自信を示すと共に、在韓米軍基地移転や戦時作戦統制権の返還に反対する退役軍人に対し「米国の後ろに隠れて『兄貴、兄貴のパワーだけ信じるよ』とばかりしてはいられない。一度は度胸をみせるべきじゃないか」「自国軍隊の作戦統制さえきちんとできない軍隊を作っておいて、『私は国防長官です』、『私は参謀総長です』と威張りたいというのか」と反論した<ref>『「私は正気」盧大統領、演壇叩いて70分「決意に満ちた発言」』、中央日報、2006年12月22日</ref>。