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2.連邦の父として
この時期になるとマクドナルドは、この地域の将来に目を向けるようになる。イギリス最大の植民地の政治的なリーダーとして、その他の英領植民地との交流や連合などの力も発揮してくるようになっていた。南に国境を接するアメリカからの攻撃に備える意味もあり、西部の植民地と共に共存する政治的安定基盤を確保する必要があった。カナダ植民地の政治的不安定さをさけるため、1864年にマクドナルドの保守党とジョージ・ブラウン率いる(自由党の起源である)改革党がマクドナルドのもとに「大連合」した。マクドナルドは北米のイギリス植民地を「カナダ」に連合する働きかけを続け、1864年9月にプリンスエドワードアイランドのシャーロットタウンで東部のみで連立しようとしていた東部大西洋地域の植民地代表に提案(「シャーロットタウン会議」)。1864年10月にはケベック・シティにてカナダ連合への計画を採択(「ケベック会議」)。1866年までにはブランズウィック、ノバスコシアが連合に合意。ニューファンドランドとプリンスエドワードアイランドは反対したが、最終的に合意。これに基づきイギリス議会は英領北アメリカ法を制定。連邦制をとるひとつの植民地「カナダ自治領(Dominion of Canada)」を形成することを決定。この法律は「1867年カナダ憲法」として現在でも効力を持っている。
ビクトリア女王は連邦形成の貢献者として、自治領成立の1867年7月1日に「聖マイケル・聖ジョージ勲章」をマクドナルドに授与した。また同年8月の選挙でマクドナルド率いる保守党が政権を取り、カナダの初代首相となった。
(出典:Wikipedia)
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