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昭和20年(1945年)以前は、交通の不便さもあり、日本を訪問した国家元首は2人しかいない。明治14年(1881年)、アメリカ合衆国領となる前のハワイ王カラカウア、そして、昭和10年(1935年)満州国皇帝康徳帝である。朝鮮の王公族である李垠が日本で教育を受け、中将となっているが、当時既に朝鮮は独立国ではない。ただし、ロシア帝国の皇太子ニコライ2世やギリシア王国の王子ゲオルギオスなど、元首に準ずる格の人物は何人か来日している。
第二次世界大戦後、占領統治の終わりとともに、日本国外の国家元首や賓客(王族など)が日本を訪れるようになった。昭和31年(1956年)のハイレ・セラシエ・エチオピア皇帝、昭和32年(1957年)のインド:ジャワハルラール・ネルー首相、昭和33年(1958年)のインドネシア:スカルノ大統領、昭和35年(1960年)のアデナウアー・西独首相の来日があった。以後、他の国々からも賓客がつぎつぎに来日するようになった。<ref>以上は、ベン・アミー・シロニー『母なる天皇―女性的君主制の過去・現在・未来』378頁(第9章『母性的君主への回帰』、22『性と死―天皇への愛憎』、『日本は君主制の国か』)より。</ref>
昭和天皇の大喪の礼の際には、世界の163か国の国家元首や首脳と17の国際機関の関係者が参列に訪れた。インドは3日間、ブータンでは一か月間喪に服した(日本は2日間)。また、今上天皇の即位の礼の際にも世界各国の国家元首が多く参列に訪れた。
昭和天皇は敗戦時に連合国のソビエト連邦、中華民国(当時)、イギリス、オーストラリアからは戦犯として裁くべきだと言われたもののマッカーサーにより追訴を逃れた。後に昭和50年(1975年)にアメリカを訪問しており、アメリカ合衆国のジェラルド・R・フォード大統領は、昭和天皇の前に立った時には足が震えたというエピソード<ref>竹村健一著より。</ref>もある。しかし第二次世界大戦で敵対関係だった連合国の中華人民共和国・オランダ・イギリスや植民地支配下にあった大韓民国などの一部からは憎悪の対象となった。例えば天皇がイギリス訪問の際にエリザベス2世と馬車に乗っている時にブーイングが湧き上がり、オランダでは抗議活動として卵や火炎瓶等を投げつけられる程であり、天皇に強い憎しみを露わにしたのは日本軍の捕虜として過酷な経験のある退役軍人である。
しかし大戦中に小学生であった今上天皇はそのような憎悪の対象になっておらず、国際的にも敬意を払われており、天皇が海外に訪問する際も激しい抗議が起こることはない。また、天安門事件の時に中華人民共和国が欧米諸国の経済制裁で孤立化した時に天皇の訪中を行うことによって中国側を懐柔するなどの外交策がとられたこともある。
今上天皇が平成6年(1994年)6月にアメリカを訪問した際には米5軍(陸海空軍・海兵隊・沿岸警備隊)による観閲儀仗が行なわれた。