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5.天皇の歴史
5.5.鎌倉・室町時代

中世の国家体制については、一般的には天皇・公家の後退と武家の伸張によって特徴付けられるが、公家と武家が両々相俟って国家を維持したとする権門体制論も提出されているなど学説も多様である。荘園制の普及にもかかわらず律令体制下の公領(国衙領)がなお根強く残されていたことから、鎌倉幕府の成立前後までは上皇がかなりの権力を振るう余地はあった。

しかし承久の変(承久3年、1221年)以降の天皇の権力的な側面の失墜は著しく、蒙古襲来に当たっての外交的処理や唐船派遣などの外国貿易など、いずれも鎌倉幕府の主導の下に行われており、武家一元化の動向を示していた。武家の進出のため公家の家門の分裂が起こることも多くなった。皇室もまず大覚寺統持明院統に分裂し、さらにおのおのが再分裂した。

鎌倉幕府の崩壊後、一時大覚寺統傍流の後醍醐天皇による天皇親政が試みられたが、二条河原の落書が風刺した世相の混乱もあり、足利尊氏の離反によって終止符を打たれた。しかしその後の内乱を通じて南北両朝が並立し、足利方の北朝南朝を吸収することで収拾された。

また、室町幕府3代将軍足利義満は、自分の子義嗣を皇位継承者とする皇位簒奪計画を持ったと言われるが、義満の死後、朝廷が義満に太上(だいじょう)天皇の尊号を贈ろうとした際には、室町幕府4代将軍義持がこれを固辞している。しかしこれは、義満が義持より義嗣をかわいがっていたため、父を快く思わなかったためともいわれているので、その真相については未だ定かではない。

戦国時代末期には京都での天皇や公家の窮乏は著しかったとされているが、有力戦国大名織田政権豊臣政権が天皇・公家を政治的・経済的に意識的に保護したことによってその後も制度として継続する。

(出典:Wikipedia)

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