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自由主義陣営諸国の旗頭である米国にとって最前線の重要拠点となった日本は、農地改革や労働改革によって戦前に比べて国内市場が広がったこと、有刺鉄線やドラム缶などの補給物資の生産や輸送による特需、そして膨大な駐留米軍の生活消費など需要も少なからず影響したが、奇跡的な速度で経済が復興し、さらに昭和30年代から40年代まで続く驚異的な高度経済成長を遂げるに至る。「昭和元禄」と呼ばれ、週刊誌や月刊誌の創刊が目立った。子供向けの漫画や映画と並んでテレビ放送も普及した。東海道新幹線開業、名神高速道路開通、東京オリンピックの開催、日本万国博覧会(大阪万博)の成功によって最高潮を迎えたが、中東戦争がもたらしたオイルショックによって成長が終わる。
この奇跡の復興は、米国の戦略上の必要から国内治安と国土防衛のために微小な規模で警察予備隊(後に自衛隊)を保持したとはいえ、憲法では戦力の保持を禁じていたことにより、当時の自由主義諸国の国防費の対GDP比でいえば、完全に国防費負担から解放されているというに等しい財政上の僥倖が大きく寄与している。このことはドイツ、イタリアはもちろん、大戦後独立した多くのアジア諸国が、通常の国防費を支出しながらの日本と同じような速度での経済成長を望み得なかったことでも明らかである。その反面、日米安保条約と日米地位協定によって米軍基地が日本各地に残されており、駐留国負担(近年は思いやり予算と呼ばれることがある)の出費も大きく、米軍犯罪時の裁判や事故などをめぐってトラブルも絶えず生じた。特に沖縄県ではこうした問題がしばしば起こった。また核持込をめぐっても不明確なままに推移しており、日本の非核三原則についてもしばしば問題となるようになった。
急速な経済成長に合わせて人口はさらに増加した。戦後すぐの第1次ベビーブームを経て、人口はついに1億人を超えた。ベビーブームで生まれた世代は団塊の世代と呼ばれ、戦争を知らず、その膨大な世代人口のなかで勝ち残るための競争に身をささげることになり、自己主張はどの世代よりも激しくなった。地方出身者は口減らしのために都市部へ集団で送り込まれ(集団就職)、かれらは「金の卵」と呼ばれ、集団就職列車も運行された。都市部の中小企業に就職したかれらの豊富な労働力が日本経済を支えた。
一方、都市出身者や金銭的に余裕のある者は高校と大学へ進学し、その極めて激しい自己主張をぶつけ合った。人生を左右する思春期に60年安保闘争を目にしたかれらはそれを見習い、大学改革闘争やベトナム戦争反対運動などで勢いは高まった。東大紛争や日大紛争を経て、一部の過激な若者は、当時流行した新左翼思想とあいまって、「既成政党」の打倒や「革命」を叫び、暴力的なテロ活動へと走った。かれらの起こすテロ活動は社会不安を引き起こした。その影響もあって都市部の市民の多くは支持政党を持たない無党派層となった。これはその後続く自由民主党の単独長期政権の存在を許す結果となる。しかし昭和40年代(1970年代)には、公害の激化や社会問題の深刻となるなかで、社会党と共産党の革新統一の為の協定が結ばれ、東京の美濃部亮吉をはじめとして、京都、大阪、神奈川などの主要地方自治体で続々革新自治体が生まれた。京都ではほとんど共産党単独支持の蜷川虎三が多選を果たした。しかし後には、社共共闘が消滅したことや保守の盛り返しによって、次々と保守体制に戻った。 昭和47年に日本列島改造論を唱えた田中角栄内閣が成立、ロッキード事件を経て三角大福中の自民党派閥政治の時代となった。
戦後日本は、国際的には、終始米国を筆頭とする西側自由主義陣営に属し、日米安全保障条約に基づく同盟国として、ソビエト社会主義共和国連邦を筆頭とする社会主義陣営に対抗し冷戦期を乗り切ることができた。
一方、米国側に深刻で喫緊の事情があったとはいえ、日本国憲法の条文に抵触する恐れが高い自衛隊の設置を憲法改正なしに行なわれたことは、国民に憲法の権威を疑わせる結果となったという声もある。これは、明治憲法の不備を歪んだ解釈で乗り切ろうとして国策を誤った失敗を、再度繰り返す危険性をはらむのではないかと心配する声も一部にある。
大戦後の世界情勢の変化の影響で石油産油国と先進諸国との関係が複雑になった結果の2度の石油ショックを乗り切り、集中豪雨的な海外輸出の拡大によって爆発的な成長を続けた日本経済は、ついには昭和50年代(1980年代半ば)、戦後わずか30数年にしてGNPレベルではアメリカ合衆国に次ぐ経済力を持つようになるという奇跡の復興を完成し、人々の生活は有史以来初めてといえる豊かさになった。
しかしオイル・ショックを境に、円高問題の深刻化と言った新たな問題に直面する。もはや高度成長時代は終わり、低成長の時代へ移っていく。政府は円高による輸出不振の対策として内需拡大を促進するために金融緩和政策に踏み切ったために日本は空前のバブル景気に突入した。だが、その繁栄はやがて到来するデフレ(マイナス成長)へと続く道であることに気づく者はほとんどいなかった。そのような転換期のなかで平成を迎える。
以上のように、戦争そして敗戦と有史以来初めてとなる外国勢力による占領、そして特需を背景とした経済成長など、昭和の間には日本はこれまでにない大変化を遂げた。このことより、昭和終焉の時には新聞をはじめ、さまざまな方面から激動の昭和と評された。