ランキングモンスター
終戦後、日本はそれまで統治権を持っていた、台湾・朝鮮・南樺太、南洋群島・千島列島を失った。このうち、千島列島については、樺太・千島交換条約によって領有権を確定しているため全千島が日本に属するとの見解もあるが、日本政府は、千島列島のうち、南千島の北方4島についてのみ日本固有の領土であると主張し、その内2島は北海道に属すると説明している。
昭和20年(1945年)から昭和27年(1952年)までの7年間にわたって、日本史上初めて他国(GHQ)に占領され、最高司令官としてダグラス・マッカーサー元帥が着任した。マッカーサーは政治的には共和党右派で、本来反共主義的な傾向があったが、戦後直後の民主化は戦争直後の内閣として組閣された東久邇宮稔彦王内閣の予想を超える急進的な内容を持っていた。東久邇宮稔彦王内閣は戦時中の政治の継続をおこなっただけで、民主化の進展に対応できず、総辞職した。米国の占領下で、幣原喜重郎内閣、次いで吉田茂内閣を通じ、農地改革・財閥解体・労働改革の三大経済改革と呼ばれる民主化措置が実施された。また婦人参政権が認められる一方で、治安維持法が撤廃されるとともに二次にわたる公職追放が行われ、太平洋戦争に加担した者の公職からの追放および被選挙権の停止措置が採られた。吉田茂と首相の座を争う位置にいた鳩山一郎の場合、戦前の京大滝川事件時の文相であったことから、政治的活動が制約された。また昭和21年(1946年)には、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷され、戦争犯罪人とされた人は、戦争を計画し遂行した平和への罪(A級)、捕虜虐待など通例の戦争犯罪(B級)、虐殺など人道に対する罪(C級)としてそれぞれ処断された(A級B級C級とは罪の大小を表すものではなく、それぞれの罪を分類するものである)。
連合国 の日本占領政策は、事実上のアメリカ合衆国の単独で行われたたが、直接統治方式による軍政(アメリカの高等弁務官による統治)は沖縄に施行されただけで、日本本土は間接統治方式によって日本政府を通じて占領政策が実施された。占領をめぐって、連合国内部にも意見の相違が表れ始め、ソ連のスターリンは、北海道の北半分のソ連占領を提案したが、アメリカのトルーマンが拒否し、本土は統一的なアメリカの勢力下に置かれた。一方、トルーマンは「共産主義」封じ込めの必要を強調する「トルーマン・ドクトリン」を発表してギリシャでの内戦に介入し、チャーチルが「鉄のカーテン」演説で予測した東西「冷戦」が本格化した。
日本では、同じ敗戦国でも東西に分割されたドイツやオーストリア(ウィーン)、ソ連の単独占領となったルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、チェコ、スロバキアなどとは異なった占領形態が採られた。昭和26年(1951年)、マッカーサーは朝鮮戦争で原爆を使用せよなどの強硬な主張を行なったことなどからトルーマンと対立して解任され、後任にマシュー・リッジウェイ中将が着任した。日本では、表面的には沖縄、小笠原諸島を除く日本の本土では、日本にも主権があったが、全ての法令、文書は連合軍の厳しい事前検査と許可が必要であった。昭和21年(1946年)に日本国憲法が公布され、昭和26年(1951年)の日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で連合国との講和が完了して後に日本は事実上の主権を回復した。しかし米軍はほぼそのまま残留し、全土基地方式と呼ばれる方法によって日本各地に米軍基地が残された。
占領期間中の制定だが(後の押し付け憲法説に)、日本国憲法は主権は国民に存するとした国民主権(主権在民)や、基本的人権の尊重を明記した憲法であり、戦争を放棄し、国際紛争を武力や武力による威嚇によって解決しないという平和主義を加えた3大原則で成り立っている。日米安保条約や自衛隊が日本国憲法の平和原則に違反しないかについては、戦後古くから議論があり、また国の自衛権についても議論がある。
大戦によって国内経済は壊滅し、国民生活は混迷の極みにあったが、中国革命の進展と朝鮮戦争の勃発により事態は一変した。アメリカは当初、日本の完全武装解除により、非軍事化を遂行し、極東のスイスを建設すると言明していた。しかし政治反動の傾向は昭和22年(1947年)には早くも現れ始めていた。その上、昭和24年(1949年)に中国大陸で蒋介石に代わって毛沢東政権が成立すると、対日戦略を完全に転換し、日本の再武装を進め、東アジアの最重要軍事戦略拠点として位置づけ、「逆コース」とも呼ばれる政策の転換が次々と生じた。戦後の変化の特徴を示すのは労働運動の盛り上がりで、国鉄や読売新聞等では労働組合による自主管理も行なわれた。東宝争議では、社長が2つの赤(赤字と赤旗)の追放を目標とした人員整理を実施したところ、三船敏郎、池部良、久我美子らの映画スターを含む社員が街頭に出て、反対運動を行なった。しかしこの頃、国鉄の下山事件、三鷹事件、松川事件などの怪事件が次々と起こり、それらが労働運動によって起こされたと宣伝された。同時にレッドパージが行なわれ、小中高および大学の共産主義教員が追放されるに至った。それは、アメリカで吹き荒んだマッカーシー旋風(赤狩り)に似ていた。
文化面においては、映画が全盛時代を迎え、東映・大映・松竹・東宝・日活のメジャー5社が毎週競って新作を2本平均で上映する映画館は最大の娯楽施設となった。またラジオ放送も広範に普及し、歌謡曲やバラエティ、相撲や野球の実況放送が好んで聞かれた。同時にアメリカをはじめとする外国映画やジャズ・ポピュラーも急速に流入した。一方、国語のローマ字化は断念され、昭和21年(1946年)の現代かなづかい・当用漢字の制定が行われた。