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6世紀頃から東地中海では、古代ギリシャ・ローマ以来の造船技術を受け継いだ東ローマ帝国(ビザンティン帝国)が、火炎放射器ギリシャの火を持つ戦艦デュロモイを擁して海上の覇権を握った。しかし、やがて7世紀にエジプト・シリアを征服して東地中海世界に参入したムスリム(イスラム教徒)の力が増し、シチリア島やマルタ島、イベリア半島にまでムスリムの支配が及ぶようになる。このイスラムによる覇権は、パクス・イスラミカと呼ぶ。キリスト教化された西ヨーロッパはイスラム人との通商を行わなかったため、古代以来の地中海全体を覆う海上通商路は分断された。
一方ヨーロッパの大西洋側では、北からヴァイキングと呼ばれるノルマン人たちの襲撃が及ぶようになっていたが、西ヨーロッパ各国はこれに対抗する海軍を発達させず、ほとんど押さえ込まれたままであった。ノルマン人の勢力は、大西洋のみならず、地中海のシチリア島にも及んだ。
ヨーロッパの地中海側では11世紀頃からイタリア半島の諸都市が力をつけ、ジェノヴァやヴェネツィアの海軍が活躍した。東地中海の覇権は東ローマ帝国からジェノヴァ・ヴェネツィアに移り、各国はその力を無視できなくなる。
この頃の軍船はガレー船のほかに帆船も使われるようになり、火薬を使った鉄砲や大砲が装備されるようになった。しかし遠距離攻撃を行う武器が出現しても、接舷して相手の船に乗り移っての白兵戦は、依然として重要な攻撃手段であり続けた。
15世紀頃からビザンティン帝国を滅ぼしてエーゲ海・マルマラ海沿岸のギリシャ人・トルコ人海上勢力を支配下に入れたオスマン帝国が海軍力で優位に立ち、16世紀には北アフリカのバルバリア海賊もこれに加わって西地中海まで制した。16世紀後半までは、実質的にオスマンの世紀だったと言える。
一方、大西洋側では16世紀にスペインやポルトガルの海軍が優位に立ち、地中海の覇権を巡ってオスマン帝国と争う一方、大西洋やインド洋まで展開するようになった。しかし同世紀の末にはスペインの無敵艦隊(アルマダ)がイギリスに敗れ、スペインの国力も急速に低下していった。17世紀には、イベリアの両国にかわって新興のオランダ、イングランドの海軍が有力となっていく。
バルト海においては、中世以来、都市同盟のハンザ同盟が優位に立っていた。これに対して、北欧では、ヴァイキングを継承するデンマークが国家として海軍を形成し、大航海時代に参画し、インドにまで達している。ハンザ同盟とデンマークは16世紀まで対立し、ハンザ同盟が弱体化した後は、スウェーデンがデンマークとバルト海の制海権を争った。これに対して、この当時大国だったロシア帝国(モスクワ大公国)は海軍が存在しなかった。17世紀に入るとスウェーデンが海軍を強化し、デンマークを撃破してバルト帝国を建国する。一方17世紀後半には、バルト海の制海権に再び動揺が見られた。デンマークは依然海軍力を擁し、また新興のプロイセンもバルト海の覇権争いに参戦する。そして、海軍後進国だったロシア帝国が1696年に海軍を創設。18世紀初頭の大北方戦争において、バルト海の制海権を奪い、北欧の両国に代わって北方の覇権を確立した。
西洋各国は、国による海軍のほかに、私掠免許状を出して、敵国船の攻撃ならびに拿捕を許し、海軍力の不足を補った。これがとくに効果的に行われたのはイングランドで、フランシス・ドレークなど多数の有名な私掠船船長を出した。またイングランドは操船規則などを充実し、それまでばらばらに行動しがちだった艦船が、隊列を組み信号旗の合図によって組織的に機動する近代海軍の整備で他国に先んじた。
18世紀に入るとフランスが海軍を増強しイギリスに挑戦したが、トラファルガーの海戦でイギリスが大勝し、イギリス海軍の覇権が確立した。この頃の主力艦は戦列艦と呼ばれ木造3本マスト約2000tで約100門の大砲を有していた。しかしこのような大型艦の建造は、国家財政の負担となった。イギリスにおける清教徒革命は、大きな反対があった建艦税の導入を求めた国王が、イングランド議会を召集したことに端をなした。
日本では七世紀の大和朝廷と新羅・唐連合軍との政策により衰えた。