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9.解散への軌跡とその後
- 「キャンディーズ」とは本来ラン・スー・ミキのグループユニット名であるが、これに3人を支えた関係者、および全国のファンが一体となったムーブメントこそが「キャンディーズ」だったという見方もある。
- 日比谷野外音楽堂の解散宣言直後、メンバーの3人は改めて記者会見に臨み、およそ9ヶ月後の1978年4月4日に正式に解散することを決めた。当初はファン、関係者とも賛否が分かれたが、「キャンディーズの三人が解散を望んでいる以上、それを支持する」ことで意思統一が図られた。
- 後にそれは誰からともなく「最高の状態で解散する」ことへと気運が高まり、そのためには今まで獲得していなかったオリコンチャート1位をとることが最終目標となった(それまでの最高位は「春一番」「わな」の3位)。
- このような状況下でラスト・シングル「微笑がえし」の作詞を担当した阿木燿子は、キャンディーズの集大成となるよう、それまでのA面タイトル(春一番、わな、やさしい悪魔等)を歌詞の随所に散りばめた。またレコーディングの際、ちょっとした逸話がある<ref>微笑がえし参照</ref>。
- 「微笑がえし」が発売されてからは、主に全キャン連がこのラスト・シングルを1位にしようとラジオ番組で広報につとめたり、一部の地域では一人2枚以上の購入を呼びかける動きもあった。このように一部に「内輪受け」の要素があったのは事実だが、それを差し引いても「微笑がえし」は春の別れと旅立ちをイメージした普遍的な名曲であり、一般層をも巻き込んで解散直前の1978年3月12日、ついに念願のオリコンチャート1位を獲得する(後に「春一番」とともにスタンダードとなる)。
- ラスト・シングルでキャンディーズ自身最初で最後の1位を飾り、文字通り最高の状態で解散を迎えることが出来たのはメンバーの3人に起因するところのみならず、前述の通り解散宣言からラスト・シングルまで関係者やファンまで全てが一体となって、即ち全てが「キャンディーズ」なる現象と化したためとの一考がある。
- 1978年4月4日のファイナルカーニバルから30年の時を経て、当時の代表的なファンであった全国キャンディーズ連盟の有志が、解散当時キャンディーズのマネージメントをしていた大里洋吉・現アミューズ相談役に協力を要請し、2008年4月4日に「全国キャンディーズ連盟2008大同窓会」と銘打って、約2000名の参加者の下、記念の地である後楽園球場の跡地に同年3月オープンしたJCB HALLにて開催された。参加者から発起人として約200名が名前を連ね、発起人代表の石黒謙吾を始め約100名が当日の運営をボランティアとして手伝い、このイベントを盛り上げた。それらの様子は、各マスコミにも取り上げられ話題となった。
- 松下治夫の著書には公式に渡辺プロダクションが手がけた最初のアイドルはキャンディーズであると記されている。また前述のとおり初期のころの売出しにはNHKの歌謡グランドショーの協力も大きく貢献しているという。
- 各々が名前を紹介した後に「○○て呼んでください」といい最後「3人合わせてキャンディーズです」という定型の自己紹介があり、後に多くのアイドルグループにこのパターンが模倣された。
- 伊藤蘭の夫の水谷豊が『うたばん』に出演した際のトークによると、現在でも年に数回は3人で集まって食事や会話をすることがあるとのことである。
(出典:Wikipedia)
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