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1.生い立ち
ジョン・ボーフォートは、エドワード3世の四男ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと愛人(後に結婚)キャサリン・スウィンフォードの間に生まれた4人兄弟の最初の子であった。王族のランカスター公の子ではあったが妾腹の子(庶子)という出自から、出生地であるフランス、アンジューのボーフォール城(Château de Beaufort)から姓をとって臣籍降下した。
後の1390年にランカスター公は甥のリチャード2世に働きかけて、ボーフォートの兄弟が私生児ではなく合法的な子である事を宣言させた。但しその条件として、後々の内紛を避けるために、ボーフォートの兄弟とその子孫は王位継承権を持たないという但し書きが付けられた。この時の宣言は恐らく公式記録に残らない「私的談話」だったらしく、ランカスター公は1397年1月に改めて同様の内容・条件で「議会宣言」の形で公表させている。この月の終わりに、恐らく子供達が嫡子と認められたためだろうが、それまで別々に暮らしてきたランカスター公とキャサリン・スウィンフォードは結婚している。
この議会宣言を契機にボーフォートは王親貴族として公式に認められる。だが後に栄進するボーフォート一族に対して敵意をむき出しにしたヨーク公リチャードとの争いが薔薇戦争に発展し、結局はボーフォートの子孫の1人がヘンリー7世として王位につくまで続いた事を考えると、この議会宣言がその後の大量の流血と破壊をもたらした原因とも言えよう。
(出典:Wikipedia)