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5.流血の一月
分離独立の動きを加速するバルト三国に対し、ソ連政府は軍事的圧力をかけるようになる。9月にはラトビアに対して軍事介入する。そして、リトアニアへの介入も準備される。
1991年1月8日、特殊部隊アルファ部隊を含むソ連軍がリトアニアに投入される。
1月10日、ゴルバチョフはリトアニア最高会議に対し、ソ連憲法の回復と反憲法的な立法の撤回を最後通牒的に要求する。
1月11日軍事介入が始まる。
- 11時50分、ヴィリニュスの国防省の建物占拠。
- 12時00分、ヴィリニュス出版センターを包囲、占拠。市民に対し、実弾を発砲し始める。数人負傷。
- 15時00分、リトアニア共産党中央委員会の建物で記者会見。反独立派の共産党が「リトアニアソビエト社会主義共和国・国家救済委員会」の設立を宣言し、自らが唯一合法的な政府であると述べた。
- 16時40分、共和国、サウダルガス外相、ソ連外務省にソ連軍の暴力行為について懸念を表明。
- 21時00分、テレビ中継基地占拠。
- 最高会議の徹夜で審議。ランズベルギス、三度ゴルバチョフに電話するが通ぜず。
- リトアニア全土から国民が集まり、最高会議、ラジオ・テレビ局、テレビ塔、主要電話局などの重要拠点の守備に当たる。
- 01時50分、戦車および兵士がテレビ塔を守備する市民に発砲、また戦車が市民の列に列に突入。13人が死亡。ソ連軍兵士の一人が味方の発砲で死亡。
- 02時00分 ラジオ・テレビ局を襲撃。生放送中のテレビが中断される。最後の映像はカメラに向かってくる兵士の姿だった。
- この二回の襲撃が行われている中、独立を支持する大群衆が最高会議ビル周囲に集まる。夜には2万人、朝には5万人に達した。臨時の礼拝所が最高会議ビルの内外に設けられ、祈りがささげられた。人々は独立のスローガンを叫び、民族の歌を歌った。軍用トラックや戦車の車列が近くまで来たが、攻撃はしなかった。
この流血の直後、リトアニア最高会議は全ソビエトと西側世界に向かって、文書で声明を出した。それは攻撃を非難し、外国政府に対し、ソ連が主権国家に対する侵略行為を始めたことを認めるよう求めるものだった。 このニュースに対し、ノルウェー政府は国連に訴えを起こした。また、ポーランド政府はリトアニア国民との連帯を表明し、ソ連軍の行為を非難した。キエフ、タリン、リガなど多くの都市でリトアニア支持の集会が開かれた。1月13日以後、占領は続いたが、大きな衝突はなかった。
西側の報道が入ってくると、ゴルバチョフは厳しい立場に立たされた。2月4日、アイスランドがリトアニアの独立を承認し、外交関係を樹立した。
(出典:Wikipedia)
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