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全国の都市の中でも、大分市はここ40年の間に急激に成長した都市のひとつである。
1950年代、大分市は人口10万人弱で、宮崎市よりもわずかに小さく、九州(沖縄県を除く)では佐賀市に次いで2番目に小さな県庁所在地であった<ref>石黒正紀、「戦後における九州地方の人口構造変化」、福岡教育大学紀要第55号第2分冊,1-7(2006)(pdfファイル)</ref>。
1960年代に入ると、高度経済成長の恩恵を受けるべく、工業振興による発展を図って新産業都市指定を目指した。人口要件を満たすために1963年(昭和38年)に鶴崎市や大南町などとの大合併に踏みきり、1964年(昭和39年)1月に新産業都市に指定されると、沿岸部に新日鉄などの大工場が進出した。それまでの鄙びた小都市から九州を代表する工業都市へと急速に開発が進み、大分市は「新産都の優等生」と呼ばれた。
人口も1960年代以降急激に増加し、1963年の合併時には21万人であった人口が、1970年には26万人、1980年代には36万人、1990年代には40万人を突破して、ほぼ倍増した。これは、1963年の合併から市域が拡大していなかった状況を考えると、極めて著しい人口増加といえる。周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成され、城南団地、明野団地、敷戸団地などのニュータウンがスプロール化して連なる特異な郊外環境が誕生した<ref>大分県内の(住宅)団地開発について</ref>。
また、新産業都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋、ダイエー、ニチイ、ジャスコ、西友など関東・関西資本の大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに九州では珍しい首都圏の郊外都市のような駅前繁華街が形成された。ただし、その後、商業のドーナツ化が進み、2009年までに中心部の大型スーパーはすべてが業態転換または撤退している<ref>長崎屋・ダイエー:撤退。ニチイ:サティに改名後、2009年3月20日に閉店。ジャスコ:1993年11月に業態転換し大分フォーラスになる。西友:1977年4月に業態転換し大分パルコになる。</ref>。
1997年(平成9年)4月1日には、中核市に指定されている。
平成の大合併では、2005年(平成17年)1月1日、佐賀関町及び野津原町が大分市に編入された。2009年4月現在、大分市は九州で5番目に人口が多い市である。本項目で「旧大分市」と言う場合には、佐賀関町、野津原町の編入以前(2004年12月末日以前)の大分市を指す。