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20世紀に入ってから、近代ゲリラ戦を定型化したのはニカラグアのアウグスト・セサル・サンディーノ将軍だった。サンディーノは1927年に駐ニカラグアアメリカ海兵隊を攻撃してニカラグア北部の密林や山岳地帯でのゲリラ戦争に持ち込み、国際社会やラテンアメリカ諸国の支援を受けて1933年に海兵隊を撤退に追いやった。
現代においてゲリラ戦の有効性を実証し、同時に民間人に多大な犠牲を強いたのは、第一次国共内戦において、毛沢東が率いた中国共産党の便衣兵であった。延安に長征した後の彼は『遊撃戦論』などの著作の中で、それまでのマルクス主義における革命戦術の唯一の公式となっていた都市プロレタリア蜂起戦術を批判し、山岳を根拠地とする農村ゲリラ戦術を理論化し、国共内戦と日中戦争で実践した。背景には中国史に数ある農民反乱の伝統があったが、毛沢東は単純に農民の数をあてにするのではなく、険阻な山岳に士気の高いゲリラ軍が入って長期抗戦の態勢を整え、それを一般の農民が支援するというスタイルを編み出す。
第二次世界大戦では、中華民国、ポーランド、ユーゴスラビア、ギリシャ、ソ連、フランス、スロヴァキア、フィリピン、ベトナム、イタリア(ムッソリーニの失脚後)など、枢軸国の侵攻を受けた諸国で占領軍に対するゲリラ戦が展開され、ヨーロッパのゲリラは、特にレジスタンス運動やパルチザンと呼ばれた。これらのゲリラの主任務は、連合軍の正規軍と連携し、戦線の後方で破壊活動や諜報活動をすることであった。ただし、中国とユーゴスラビアのゲリラは山岳地から勢力を拡大して都市の争奪にまで乗り出した。大戦末期にソ連軍が東欧やバルト三国を占領すると、枢軸軍と戦っていたゲリラは国民の解放を求めてソ連軍相手にゲリラ戦を続け、ウクライナやリトアニア、エストニア、ラトヴィアではウクライナ蜂起軍や森の兄弟による抵抗運動が戦後も暫く続いた。
第二次世界大戦後、脱植民地化時代に入ったアジアとアフリカの植民地や低開発国では、社会主義の思想的影響の下で独立運動や反帝国主義闘争が盛んになった。中国では日中戦争中から日本軍に対するゲリラ戦を優位に進め、第二次国共内戦に勝利した毛沢東の中国共産党が1949年に中華人民共和国を建国し、社会主義圏(東側諸国)に加盟した。その中で、宗主国を相手に独立戦争を開始する人々も現れた。独立戦争のほとんどはゲリラ戦の形をとり、中でもアルジェリア独立戦争、第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争では、フランツ・ファノンやホー・チ・ミンとヴォー・グエン・ザップを理論的指導者としたゲリラ戦が重要な役割を担った。
独立後、主としてアジアで、毛沢東主義の思想的影響を受けて社会主義革命を目指すゲリラが興ったが、大半が失敗し、中華人民共和国の影響下にはないキューバのフィデル・カストロとチェ・ゲバラの反独裁ゲリラが成功をおさめた。その後、ラテンアメリカではキューバ革命の影響をうけて親米独裁政権・軍事政権に反対するゲリラが起こされるが、後に世界各国のゲリラの教本にもなった『ゲリラ戦争』でゲバラ主義が標榜した、社会主義革命のために都市のプロレタリアによる蜂起ではなく、農村ゲリラ戦術を主要路線とするゲリラ闘争は、1967年10月にゲバラ自身がボリビアで戦死したことにより重大な挫折を来した。その後ラテンアメリカにおける革命運動は、1968年のペルーにおけるフアン・ベラスコ・アルバラード将軍の社会主義を標榜したクーデターや、1970年のチリにおけるサルバドール・アジェンデの平和革命など、1973年9月11日にチリ革命がチリ・クーデターによって終焉するまで、ゲリラ闘争以外で社会主義を達成しようとする動きに移行したが、チリ・クーデター後にはIMFや世界銀行による構造調整を受け入れた軍事政権に対して再びゲリラ戦争が開始された。この種のゲリラ闘争は1979年のニカラグアでのサンディニスタ革命など成功するものもあったものの、グアテマラ内戦の諸勢力やコロンビア革命軍、センデロ・ルミノソのように多くは敗北するか、長引く内戦ですべての当事者が疲弊し、さらに冷戦が終結するとかつてゲリラ側が掲げていた社会主義の大義は大きく歪み、1990年代になるとその一部は麻薬取引に資金源を見出すようになった。なお、ニカラグアのコントラやコロンビアの右翼民兵組織(パラ・ミリタリー)のように、親米右派であり、アメリカ軍やCIAに援助、教育を受けていた私兵組織もまた、ゲリラ戦(とテロリズム)を戦術として多用する事となった<ref>特異なケースであるものの、日本の三島由紀夫が主宰した民族派団体『楯の会』も(左翼革命発生時においての反動作戦としての)ゲリラ戦を研究対象としていた。</ref> 。
また、同時期の世界的な脱植民地化の潮流の中でも、西ヨーロッパ最貧国であり新植民地主義を行うほどの実力を持たなかったポルトガルは植民地を手放さなかったため、ポルトガル領アフリカではアミルカル・カブラルやアゴスティーニョ・ネト、エドゥアルド・モンドラーネ、サモラ・マシェルに指導された独立を目指すゲリラ部隊とポルトガル軍の戦いが続いた。
アジアとアフリカには、国内少数民族による独立要求が多くある。その一部もゲリラ戦の形で戦争を行なっている。ただし、アルメニアに支援されたナゴルノ・カラバフ軍のように、経済的・政治的余裕があれば、ゲリラ戦よりも正規戦に堪える正規軍を編成する事の方が多い。南ベトナム解放民族戦線(いわゆるベトコン)にしても、ベトナム戦争後期には旧ソ連・中国・旧北ベトナムの強力かつ弾力的な支援によって正規戦に堪えうる装備と部隊を獲得していたとする説もある。
さらに、強力な外国軍と戦うアラブ・ゲリラがある。パレスチナ解放機構(PLO)などをはじめとするパレスチナのゲリラは、アラブ諸国が第三次中東戦争でイスラエルに敗北し、さらにエジプトのサーダートがナセル主義から転向して1977年にイスラエルと和平を結ぶなど、アラブ民族主義路線に重大な挫折を来してから、イスラエル領内に越境攻撃を行なった。パレスチナゲリラは社会主義を理論的支柱としていたが、アフガニスタンでは1979年に侵攻して来たソビエト連邦に対して社会主義そのものの失墜もあり、従来ゲリラ戦術の理論的支柱だった社会主義ではなく、イスラーム主義を背景としたムジャーヒディーンがアメリカ合衆国の援助を受けてゲリラ戦で抵抗した。また、アラブ諸国の一つであるレバノンではイスラム原理主義組織ヒズボラが同国南部を占領していたイスラエル軍に対してゲリラ戦及び自爆攻撃を展開し、2000年に同軍撤退という一定の成果を上げた。
メキシコではNAFTA発効の1994年1月1日に、多国籍企業の進出や補助金により圧倒的な競争力を持つアメリカ合衆国産の農産物(事実上のダンピング)の流入により、メキシコの農家やインディオ(先住民)に失業を宣告するようなこの協定の締結に対して、マヤ系先住民を主体としたサパティスタ国民解放軍(EZLN)が最貧州のチアパス州ラカンドンから反乱を起こした。EZLNは従来のゲリラ戦術が目指した「国家権力の奪取」を目指さない全く新しい形のゲリラ闘争を繰り広げ、チアパス州にて自治を行っている。
21世紀に入り、対テロ戦争の文脈でアフガニスタン侵攻やイラク戦争が勃発したため、イスラーム主義者によるアメリカ合衆国や有志連合諸国に対するゲリラ戦がアフガニスタンやイラクで展開されている。