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ルイ16世の処刑はヨーロッパ各国を震撼させ、イギリス、スペイン、サルデーニャ王国なども反革命に立たせることになった。イギリスを中心に第一次対仏大同盟が結成され、各国の軍がフランス国境を越えた。革命政府は「30万人募兵」を布告するが、これへの反発からヴァンデの反乱が発生し、王党派と結びついて拡大した。テロリズムも続発し、国内情勢は不安定になっていた。
これらの危機に加えて、ジロンド派が下層市民の食糧危機に対して何ら政策を講じない事を宣言すると、下層市民の怒りが爆発する。6月2日、下層市民の支持するジャコバン派が国民公会からジロンド派を追放し、ロベスピエールが権力を掌握した。
ジャコバン派は独裁政治を開始する。公安委員会・保安委員会・革命裁判所などの機関を通して恐怖政治を実行し、反対派を次々とギロチン台に送った。さらにロベスピエールは、エベール派とダントン派を粛清して、農民に対する土地の無償分配など自己の理想とする独立小生産者による共和政の樹立を目指した。法律による保護や人身の自由、所有の権利をうたった「人権宣言」は、空文にすぎなかった。ジャコバン派は、8月23日に「国家総動員」を布告して徴兵制度を実施し軍備を整え、諸外国の干渉戦争への反撃に成功した。
このように、フランス本土では恐怖政治が進んだが、他方でサン=ドマングでは1793年8月29日にフランス本土から派遣された国民公会議員のレジェ=フェリシテ・ソントナが奴隷制の廃止を独断で宣言し、この宣言を追認したロベスピエールとジャコバン派は1794年2月4日に国民公会でプリュヴィオーズ16日法を可決し、西欧世界初の植民地も含めた全面的な奴隷制廃止が決議された。こうしてルイジアナ、ギアナ、サン=ドマング、マルティニーク、グアドループなどアメリカ大陸の広大な地域で黒人法の下プランテーション農業に縛られていた黒人奴隷は解放され、自由人となった。このことはイギリスに走っていたサン=ドマングの黒人実力者トゥーサン・ルーヴェルチュールのフランス復帰をもたらすなど、ジャコバンによって自由と平等の実践は深化したともいえる。