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イラク南部の町ヒンディーヤ(Hindiyah)の出身。バグダッド大学卒(アラビア文学専攻)、サラーフッディーン大学で修士号取得。サッダーム・フセイン政権下のシーア派弾圧により死刑判決を受け、1980年にシリアへ亡命(亡命後ジャワード・マーリキーを名乗る)。
2003年にサッダーム政権崩壊後のイラクへ帰国し、バアス党員の公職追放とともに新憲法の草案作りに携わった。2005年イラク移行政府にジャアファリー首相の側近として加わる。イラク正式政府の発足にあたり、当初はダアワ党指導者でもあるジャアファリー移行政府首相が正式政府首相の最有力候補と見られたが、シーア派の利益を優先するジャファリの首相再任はスンナ派とクルド人勢力の反発を受け、アメリカもサドル派とイランに近いジャアファリーへの警戒を強めるなど、正式政府の首相選出は難航した。
このためジャアファリーは首相候補を辞退し、ダアワ党の副代表格であるマーリキーが代わって2006年4月首相指名を受け、2006年5月に発足したイラク正式政府の首相に就任。なお、内閣発足時に内相・国防相など治安関係ポストは、宗派間およびシーア派内の対立で選出が遅れたため、6月にジャワード・ブーラーニーが内相に正式就任するまで、マーリキーが暫定的に内相を兼任した。マリキは旧フセイン政権関係者に対しては終始強硬の姿勢であり、アメリカはフセイン死刑執行延期を要請したが、「サッダーミスト」(サッダーム支持者)が本人の奪還を目的にテロを起こしかねないとの懸念から受け入れず2006年12月30日に執行した。これらの処罰における強硬な政治手法により政敵からは「スターリン」と呼ばれたこともある。2007年2月に新たな治安対策として、米軍と連携した対武装勢力掃討作戦を開始。
2007年4月8日に来日し、9日に今上天皇と会見。マーリキーが「和解に向けた良い動きがあります」と語ると、今上陛下は「国づくりが進み、イラク国民が平和に、幸せに暮らせることを願います」と答えられた。
しかしイラク国内の反米世論は常にマリキ政権の基盤を脅かし続けている。2008年12月14日、イラクを訪問中のブッシュ大統領との記者会見の席上、ブッシュへの靴投げ事件が発生。靴を投げた記者は禁固刑に処せられる。2009年5月には配給食糧の横流しの容疑によってスダーニ前貿易相が逮捕されるなど、政権与党側の不正取り締まり強化の必要にも迫られている。