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長嶋茂雄-監督時代について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.人物
2.2.性格・行動に関するできごと
監督時代

野村克也は長嶋の監督としての評価について、著書『巨人軍論』の中で「長嶋は監督としては失格。若手を育てられない」と記している。ただし、高校時代、肋膜炎にかかりプロでは体力面で懸念があった篠塚和典や、脱臼癖があってプロ入りを諦めていた松本匡史をタイトルホルダーにまで育てた例はある。他にも、中畑清西本聖角三男新浦寿夫山倉和博らを第1次政権下で育て上げている。第1次政権時代の「地獄の伊東キャンプ」で成長した選手たちは、その後藤田元司監督の下で主力となり、日本一を勝ち取る。そのシーズン終了後、教え子たちは長嶋を極秘裏に中華料理店に招いて祝賀会を開き、店の裏で長嶋を胴上げしたという。また、チームが一度は放出した西本聖が1994年に再び巨人の入団テストを受けた際、当時の堀内投手コーチは獲得に反対したが、古巣へ復帰させ、自分が前政権で付けていた90番を譲った。そして、その年で引退した西本の引退試合が多摩川グラウンドで行われた時、遅れて駆けつけ最後のバッターとして打席に立つなど情に厚い面を見せた。
また、第2次政権下でも松井秀喜仁志敏久清水隆行高橋由伸二岡智宏阿部慎之助などのドラフト上位選手を腐らせることなく主力選手に育てている。目をかけている選手は、たとえ調子が下がってきても我慢強く起用することがあり、上記の新浦などはその典型であった。新人で入ってきた阿部を、捕手の世代交代が急務であったとはいえ起用し続け、それが翌年の急成長につながっている。他にも、高橋由や二岡などがスランプで苦しんだ時期でも我慢して起用し続けた。

選手起用は大胆なものが多く、1977年、甲子園球場での阪神との第1回戦で、3対2と1点ビハインドの9回表、2死から土井正三が内野安打で出塁すると、俊足のルーキー松本匡史を代走に送り、すぐさま盗塁をさせ、次打者山本功児の中前適時打で同点に追いついている。盗塁失敗すればゲームセットの場面であるが、長嶋は、松本の足を信頼していた事とヒットが2本続く確率を考えれば、ヒット1本で追いつける場面(ランナー2塁)を作りたかった、という趣旨の事を述べている。1978年には、阪神戦で、5回に1点差に迫られなお無死1・2塁、かつ左打者の藤田平掛布雅之を迎えたところで先発投手の小林繁を一旦右翼に回し、左腕の角三男を登板させ、角が藤田、掛布を連続三振に切って取ると、小林を投手に戻し、小林は最後まで投げきって勝利している。(記録上は小林の救援勝利)ただし、後にもう一度小林が先発した際に、小俣進をワンポイント登板させ、同じ策を取ったが、再登板した小林が打たれて敗戦。1993年には延長戦で投手の岡田展和を代走に起用したり(試合後のインタビューでは、「ええ、オガタは足が速いですよ」と語った)、1997年にはやはり投手の宮本和知を代打に起用した。
1978年7月6日、札幌・円山球場で行われた巨人-広島戦で、3人も投手をつぎ込んだにもかかわらず1イニング10四球6押し出しで、計8失点し、1イニング最多四死球の日本ワースト記録が誕生した際に、あまりの酷さに「おい、誰か、野手で投げれるヤツはいないのか」とぼやいたという。
1996年、日本シリーズの終了後、長男・一茂に「お前は、来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告した。
部下(選手)達の名前を覚えられず、しばしば2人以上の名前を合成していた(高橋尚成高橋由伸との合成で「ヨシノリ」など)。また、名前の呼び違いもある。たとえば上原浩治を同期入団の「二岡」と呼んでいた(1999年に長嶋解任騒動が留任で落ち着いた際に上原が「これで『二岡』と呼ばれずに、自分の名前をちゃんと覚えてもらえます」と語っていた。)ほか、清水隆行を自分の現役時代の同僚であった「柳田」と呼んだことがあり、勝利監督インタビューでは広澤克実を「広岡」と言ったことがあった。1999年に兄の入来智が巨人に移籍してきたとき、生え抜きの弟、入来祐作に対して「お兄ちゃん」と呼んでいた。また入来祐作と岡田展和をとり間違えることがあったようでブルペンに救援投手を岡田と連絡しておきながら審判に入来と告げることがあった(突然指名されたため入来は準備不足で救援失敗)。また、投手交代の際に交代投手を「アワグチ」と告げて、ブルペンで用意していた阿波野秀幸川口和久が顔を見合せて、「どっちだろ?」と言っていた。桑田真澄に対しては「くわた」ではなく「くわだ」と呼びかけていた。また、ロベルト・ペタジーニを「ペタちゃん」と呼んでいた。自軍の外野手出口雄大をなぜか「湯舟」(当時の阪神の投手)と呼んだ事もある。
カンピュータと揶揄されることがあるが、長嶋のカンは驚異的なものらしい。現役時代長嶋監督の下でプレーした村田真一(現:打撃コーチ)いわく、長嶋がボソッと「あ、打たれるな」とつぶやいた後、本当にピッチャーが打たれてしまう事がある。その他に長嶋が自らフォークを投手に投げさせろとサインを村田に出し、実際にマウンドの橋本清に投げさせると、橋本は立浪和義に見事なまでに狙い撃ちされ、特大ホームランを打たれてしまった。その直後、村田がベンチを見るとカンのいい長嶋は投げる前に打たれると思って、既にベンチ裏に下がって姿がなかったという。
試合後に選手が「皆で寿司を食べに行こう」と言うと、体が冷えると言う理由でダメだと言い、代わりに焼きバナナを食べろと言った。
1997年、西武の清原和博獲得にあたり、球団は代わりに最高額年俸選手でシーズン中不振だった落合博満の放出を長島に求めたため、長島は落合に直接会って退団を勧告することになった。そのさい、長島は「寿司を食いながら話そう」と落合を行き付けの寿司屋に連れ出そうとしたため、「こんな大事な話が外部に漏れたら大変」と驚いた落合から逆に止められ、結局寿司の出前を取ることになった。その後、長島の説得に応じて落合は球団に自ら自由契約を申し出たが、直後のテレビ番組の取材で「長島監督に何か言いたいことはあるか?」との質問に「長島さんには監督の仕事は小さい、それよりも早くコミッショナーになって日本球界のために大きな仕事をしてほしい」と答えた(出典:徳光和夫のザ・サンデー)。

(出典:Wikipedia)

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