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2.人物
2.2.性格・行動に関するできごと
長嶋は天真爛漫・おおらかと形容される一方、興味や関心の薄いものについては無頓着であるとされ、以下のような話がある<ref>これらの話には信憑性が必ずしも定かではないものも含まれる点には留意が必要である。玉木正之の『プロ野球大事典』(1990年、新潮文庫)では、東急フライヤーズの一言多十が映画『七人の侍』を「七人のマチ」と言ったエピソードから、多くのコラムニストが他のプロ野球選手にこれを付会させたエピソードを「創作」し、その「被害」が最も多いのは長嶋であろうと記されている。同書には1979年のあるエッセイで、長嶋が同じ黒澤明監督の映画『野良犬』を「ノヨシケン」と呼んだと書かれている例が紹介されている。</ref>。
- 立教大学時代練習がきついという理由で合宿所を抜け出し、エースの杉浦忠と共に中日ドラゴンズの球団事務所へ行き入団テストを受けさせてくれと頼むものの球団職員に「卒業してから来なさい」と言われた。
- 立教大学での卒業試験で『I live in Tokyo.(私は東京に住んでいます)を過去形にしなさい』という問題を『I live in Edo.(私は江戸に住んでいます)』と解答して単位取得した(正解は『I lived in Tokyo.』)他にも「The」を「テヘ」と読んだという話や、授業で近くの席の学生の英和辞典を「君、便利な本を持っているね。それ何ていうの」と聞いたというものもある<ref>立教大学出身の映画監督周防正行は映画『シコふんじゃった。』でこの二つを「ミスターの伝説」として登場させている</ref>。立教大学での卒業学部を聞かれ「野球部」と言い切った(「野球しかしてなかったからこれで正しいんじゃないかな」とも言っている)。しかも自分専用に作成された入学試験・卒業試験の問題さえ正解できなかった(上記の英文和訳という説のほか、赤鉛筆の色は何色かという問題に青と答えたという説もある。
- 宿帳の「職業」欄に「プロ野球選手」ではなくしばしば「長嶋茂雄」と記していた。
- 試合前の打撃練習ののち、そのまま帰宅しようとした事がある。自分のユニホームと間違え、背番号5の黒江のユニホームを着てグラウンドに出たこともある。片足に2本分(1足)のストッキングを履いた事があり、片足の分がないと探した。また、試合開始直前にストッキングを忘れた事に気付き、普通の靴下をマジックペンで黒く塗ったものを履いて試合に臨んだ事がある。試合後には自宅の場所を忘れ、田園調布の自宅のお手伝いさんに「あの僕、長嶋茂雄です。僕の家、どこでしたっけ?」と電話で尋ね、美容院に行っていた長嶋亜希子夫人が後楽園球場に迎えに来たことがある。1973年5月5日のこどもの日には長男・一茂を後楽園球場に同伴し、試合を観戦させた。帰宅後、夫人の指摘で一茂を球場に置き忘れたことに気がついた。一茂は審判室で保護されていた。
- 契約金を預金した銀行の名前を忘れ、大学時代の友人など方々に尋ねた挙句ようやく判明した。購入したばかりのBMWを運転中、「今日は随分エンジンブレーキが効くなぁ」と思いながらもそのまま走っていたら、車が火を吹き出した。サイドブレーキを引きっぱなしで走っていたためで、車は即廃車となった。
- 王貞治の回想によると、キャンプ時に宿舎の庭で夜まで練習している長嶋を見て、王も深夜まで素振りの練習をしていたが、いつまでも長嶋の気配が消えないので、そっと様子を見に行くと、長嶋はバットを振りながら、ヘルメットを落とす練習をしていたと言う。
一方、こうした「天真爛漫・無頓着」とは異なる側面もある。
- イライラしたり、退屈になってくると、身近に有る物を蹴っては元の位置に戻す癖があった。例えば階段に置いてあった空のドラム缶をその癖で蹴ったところ、ドラム缶は階段を転げ落ちて行き王貞治に直撃。幸い王に怪我は無かったが長嶋はばつが悪そうにドラム缶を元の位置に戻さずそそくさと退散した(一言「ごめん、ワンちゃん。わざとじゃないよ」と言ったとされている)。
- 現役時代のオフシーズンには伊豆などで「山ごもり」と称する自主トレーニングを行っていた。しかし、実のところは取材の来る初日と最終日だけ練習の振りを見せ、あとはもっぱら宿の部屋で好きな西洋名画の画集を眺めていることが多かったという。中にはその期間、実際には海外旅行に出かけていたという極端な年もあった<ref>著書『長島茂雄のトランジットタイム』(1984年、電通)による。</ref>。
- 1961年10月に朝日新聞の「わたしが新聞記者なら」というインタビュー記事で「社会党の天下になったら野球、野球っていっておられるかどうか、わかりませんからね」と発言し、物議を醸した<ref>1960年の安保闘争の記憶が生々しい時期で(長嶋もインタビューで「安保(闘争)」に言及している)、政権交代を思わせる時代背景があった。もっとも多くの日本人は万一現実に政権を取ったらある程度現実的に行動するであろうと理解していた。社会党もこの記事に対してただちに「そのようなことはしない」といったコメントを出している。一方で長嶋は、社会主義国のキューバを訪問したさい、現地の野球が盛んなことや優れたスポーツ政策を目の当たりにして感心し、帰国後周囲の人にカストロやゲバラの事を絶賛していたと言われる(『プロ野球大事典』より)。</ref>。
- 若い頃は大の映画ファンで、立教大学4年の時に淀川長治が編集長の雑誌『映画の友』のインタビューを受けたことがある。そのインタビューでは「最近見た映画」として、エリア・カザン監督の『群集の中の一つの顔』、ロベール・ブレッソン監督の『抵抗』などをあげた。特に『抵抗』は心理描写に徹した異色作で「スポーツ選手がこんな映画を選ぶとは」と淀川を驚かせた。なお映画の好みについては「甘ったるい映画は、ちょうどアウトコース低めにくるボールと同じで、僕は苦手なんですよ。性分にあわない」と語っていた<ref>佐藤有一『わが師淀川長治との五十年』(清流出版)</ref>。
- 将棋も趣味で、日本将棋連盟から球界最高位の五段の免状を授与されている。
(出典:Wikipedia)
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