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1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー(BRAVO)、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被曝した<ref>原水爆の爆発に直接晒されることを「被爆」、放射線に曝(さら)されることを「被曝」という。</ref>。実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を計ったが延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり第五福竜丸の船員23名は全員被曝した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被曝者は2万人を越えるとみられている。
予想以上に深刻な被害が発生した原因は、当初米国がこの爆弾の威力を4~8Mtと見積もり、危険区域を狭く設定したことにある。爆弾の実際の威力はその予想を遥かに超える15Mtであった為、安全区域にいたはずの多くの人々が被曝することとなった。
第五福竜丸の水爆災害(とりわけ久保山が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を遺して息を引き取った事)は、当時の日本国内に強烈な反核運動を起こす結果となった。反核運動が反米運動へと移行することを恐れた米国は、日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、総計200万ドルの補償金と「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図った。また事件が一般に報道されると、「放射能マグロ」の大量廃棄<ref>これらのマグロは築地市場内に埋め立てられ、現地には「原爆マグロ塚」が建てられた。近年の都営地下鉄大江戸線の建設工事では、「このマグロが出土するのでは」と話題になった。</ref>や、残留放射線に対する危惧から魚肉の消費が落ち込むなど、社会的に大きな影響を与えた。
第五福竜丸の被曝により、日本国民は原子爆弾・水素爆弾と両核爆弾の被爆(被曝)体験を持つ国民となった。
第五福竜丸は被曝後、救難信号(SOS)を発することなく自力で焼津漁港に帰港した。これは、船員が実験海域での被爆の事実を隠蔽しようとする米軍に撃沈されることを恐れていたためであるともいわれている<ref>絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』の記述による。背景には、当時の日本漁船乗組員の中には久保山を初めとして太平洋戦争で徴用され戦場での体験が豊富な者が多かったため、米軍側が水爆実験の詳細を隠すために第五福竜丸を拿捕・撃沈する可能性が高いと判断したものとされる。乗組員らが監修した、映画『第五福竜丸』でも、無電を使わない理由として言及するシーンがある。</ref>。