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日本最初の新体詩集であるところの「新体詩抄」(明治15年(1882年)7月出版)の中に出ている。これは、東京大学(後の東京帝国大学)の教授であった外山正一、矢田部良吉、井上哲次郎の各博士の共篇である。作詞当時、東大の文学部長であった外山は、明治3年(1870年)からアメリカへ派遣され、ミシガン大学を卒業している。その留学期間がちょうど南北戦争の直後であったことから、アメリカの軍歌から強い影響を受けてこの歌詞を作ったものと考えられる。この歌詞の終末四句を毎節繰り返す点などは、明白にアメリカの軍歌の形式を踏襲したものである。<ref>「童謡唱歌名曲全集続篇・明治回顧軍歌唱歌名曲選」(昭和7年京文社発行、堀内敬三編纂)から引用した。</ref>
歌詞は以下の通りである。(著作権は消滅)
一、
我は官軍我(わが)敵は、天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は、古今無双の英雄で
之に従う兵(つわもの)は、共に慓悍(ひょうかん)決死の士
鬼神(きしん)に恥(はじ)ぬ勇あるも、天の許さぬ反逆を
起こしし者は昔より、栄えし例(ためし)あらざるぞ
※敵の亡ぶる夫迄(それまで)は、進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜き連れて、死ぬる覚悟で進むべし
二、
皇国(みくに)の風(ふう)と武士(もののふ)の、其身(そのみ)を護る霊(たましい)の
維新このかた廃れたる、日本刀(やまとがたな)の今更に
又(また)世に出ずる身の誉(ほまれ)、敵も身方も諸共に
刃(やいば)の下に死ぬべきぞ、大和魂ある者の
死ぬべき時は今なるぞ、人に後(おく)れて恥かくな
※再唱
三、
前を望めば剣なり、右も左(ひだ)りも皆(みな)剣
剣の山に登らんは、未来の事と聞きつるに
此世(このよ)に於(おい)て目(ま)のあたり、剣の山に登るのも
我身(わがみ)のなせる罪業(ざいごう)を、滅(ほろぼ)す為にあらずして
賊を征伐するが為、剣の山もなんのその
※再唱
四、
剣の光ひらめくは、雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打出(うちだ)す砲声は、天に轟く雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や、丸(たま)に砕けて玉の緒の
絶えて墓なく失(う)する身の、屍(かばね)は積みて山をなし
其血(そのち)は流れて川をなす、死地に入(い)るのも君が為
※再唱
五、
弾丸雨飛(うひ)の間にも、二つなき身を惜(おし)まずに
進む我身は野嵐に、吹かれて消ゆる白露の
墓なき最後とぐるとも、忠義の為に死ぬる身の
死(しに)て甲斐あるものならば、死ぬるも更に怨(うらみ)なし
我と思わん人たちは、一歩も後へ引くなかれ
※再唱
六、
我今茲(ここ)に死(しな)ん身は、君の為なり国の為
捨つべきものは命なり、仮令(たと)い屍は朽ちぬとも
忠義の為に捨(すつ)る身の、名は芳(かんば)しく後の世に
永く伝えて残るらん、武士と生れた甲斐もなく
義もなき犬と言わるるな、卑法者(ひきょうもの)となそしられそ
※再唱
<ref>「新体詩抄」中、「抜刀隊の歌」の部分</ref>