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日本において死刑執行を最終判断するのは刑事訴訟法475条の定めにより法務大臣が指定されている。また死刑判決確定後6ヶ月以内に執行されなければならないと刑訴法には規定されているが、まず守られることはない。これは法務省刑事局の局付検事による確認作業ともいえる「死刑執行起案書」の作成が必要であるためである。確定死刑囚について裁判に提出しなかった証拠記録を送付するよう命令したうえでを作成したうえで、まず検事長が法務大臣に死刑執行に関する上申書を提出したうえで、法務省刑事局が、最終的に法務大臣に上申する。この法手続きは司法権が下した生命を奪う刑罰を適用する判断を行政権が再度チェックするために設けられたものであるため「第4審」<ref>別冊宝島1525『日本タブー事件史3』26頁</ref>とも呼ばれている。この時の手続きで法務官僚が死刑執行に問題ないと判断した死刑囚に対し法務大臣の執行命令書の署名を求める。この確認作業において官僚の裁量権のなかに主観的判断が介在するといわれている。そのうえ、法務大臣によっては死刑執行に対する思想の相違によって対応が異なってくる。中垣國男法務大臣のように在任中に33名の死刑執行命令を出したり、田中伊三次法務大臣のように記者の前で一度に23名の死刑執行命令書に署名するなど、死刑推進に熱心な大臣もいれば死刑執行命令に消極的な大臣も存在する。
実際に苦悶しながら署名する法務大臣も少なくないが、宮澤内閣で法務大臣を務めた田原隆のように「国民の多数が死刑を支持している」と述べ、自身は死刑執行命令を下すこともあり得るという考えを示したにもかかわらず、1年の在任期間の間に死刑執行しなかった(本人は法務官僚から死刑執行命令書の署名を求められなかったと弁明)大臣もいる。
その一方で自己の信念で死刑執行を拒否した法務大臣もいる。たとえば戦後の1964年と1969年および1990年から1992年までは死刑執行が行われなかった。そのうち1964年は、当時の賀屋興宣法務大臣(在任1963年7月-1964年7月)が元A級戦犯であり、収容されていた巣鴨プリズンにおいて東條英機元首相らA級戦犯7名が絞首刑に処されるのを見送ったうえに最期の叫びも聞いたため心情的にできなかったという。後者の1969年は当時の赤間文三法務大臣が「勘弁してくれ。今度、俺にお迎えがきたらどうする」などと発言して署名を拒否した。
1990年代初期のモラトリアム(死刑執行一時停止)は長谷川信から梶山静六、左藤恵、田原隆と歴代の法相に引き継がれた。特に自分が浄土真宗の住職であるという信仰上の信念から、死刑執行命令書に署名しなかった左藤恵(在任1990年12月-1991年11月)の例がある。しかし1993年3月26日に3人の死刑が執行され、このモラトリアムは終わった。当時の警察官僚出身の後藤田正晴が「法秩序、国家の基本がゆらぐ」(国会答弁)として再開させた。これは死刑執行が途絶えることで事実上死刑制度が廃止になることを危惧した法務官僚の意向があったともいわれている。
近年では弁護士出身で真宗大谷派の信徒である杉浦正健法務大臣(在任2005年10月-2006年9月)が、就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない」と発言したものの、1時間後には記者会見を開いて撤回した。結局、杉浦法相は死刑執行することなく任期を終えたが、職務を執行しないのであれば法務大臣を受けるべきではないとの強い批判があり、以後の法務大臣任命に影響を与えた<ref>後藤田大臣以降、死刑執行命令書に署名しなかった法務大臣として高村正彦法務大臣がいたが、杉浦大臣以降就任した法務大臣が例外なく署名しているため。また同様に死刑制度廃止を主張している連立与党の公明党から法務大臣の起用はありえないとの指摘もある</ref>。
杉浦の後任である長勢甚遠は、2006年12月25日に4人の執行書にサインした。「執行を1年でも途絶えさせてはならない」という法務省の強い意向が、異例の年末の執行になったとされる<ref>「<死刑執行>4人に 安倍政権で初 1年3カ月ぶり」 毎日新聞、2006年12月26日。</ref>。
===== 歴代法務大臣の死刑執行命令数 ===== 以下は歴代の法務大臣のうち、1980年以降の死刑執行命令数の一覧である。
===== 死刑囚収容施設ごとの年別死刑執行の一覧(1993年以降) =====
===== 日本における未執行死刑囚の一覧 =====
- 未執行死刑囚の一覧を参照のこと
===== 近年の死刑執行者一覧 =====
- 近年の死刑執行者一覧を参照のこと