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6.エピソード
6.1.プロレス
- 日プロ入門当初、ジャイアント馬場は付き人を経験せずにすぐにアメリカ遠征に出され、給料も出ていたという完全に特別扱いだったが、猪木はその全く正反対で、力道山からはまるで目の仇のように厳しく育てられた。例えば、力道山にリングシューズを履かせる際、ちょっとした紐の掛け違いでも殴られたり蹴飛ばされたりしたほどであった。
- 「ほうきを相手に試合をできる」程の卓越したプロレス・センスを持ち、過去に『ハンマープライス』内で素人と対戦したり、力道山メモリアル内で滝沢秀明と対戦している。なお『ハンマープライス』で猪木との試合権を購入したのは諸富祥彦明治大学文学部教授である。リングネームは「ゾンビー諸富」であった。
- 「延髄斬り」は海外マットでもenzuigiriと呼称され、名詞として定着している。
- 猪木は力道山の生前に馬場と16回対戦したが、16戦全敗で、馬場には一度も勝てなかった。
- 袂を分かってからジャイアント馬場を執拗に敵視し挑発してきたが、私生活ではホテル(キャピトル東急など)で馬場に会った際、「どーもどーも」と笑顔で握手に行き食事に勝手に同席した上、会計を馬場にまかせて去っていったなどの逸話が残されており、公私は別にしていた。馬場も挑発には乗らなかったが(そもそも馬場は「猪木をライバルと思ったことはない」と生涯語っていた)、新日本のNWA加盟に対して妨害工作を行うなど、内心ではかなり猪木を意識していたと考えられる。
- 引退後もプロレス・格闘技のイベントや試合の開催案を不定期で発表するが、実現せずに終わることも多い(実現しても大赤字に終わってしまうケースが多い)。「できるかどうかは関係ない。まず発表してしまうこと。それでいろいろ周りを巻き込んで 実現へと向かわせればいい。それがオレのやり方」と、交渉の前に発表するという方法を使う。この方法は新日本プロレスおよびその派生団体で今も使われ続けている。当然のことながら名を挙げられた選手、所属団体のフロントなどからの反発も大きい。
- かつて「誰の挑戦でも受ける」とコメントしていたが、新日本に復帰した前田日明の挑戦は受けなかった。因みに前田との対談で、前田に「なぜシングルで戦ってくれなかったんですか?」と聞かれ、笑いながら「逃げてたから」と答え、それを聞いた前田も笑っていた。また闘魂三銃士のうちシングルで戦ったのは武藤(グレート・ムタ)のみであった。
- 猪木は引退の時、「後継者は前田と思っていた」とコメントした。しかし前田自身は猪木のことを心良くは思っておらず、かつてインタビューで猪木のことを「格闘界に老人が徘徊しとるやんけ」と痛烈に批判している。
- 成田空港で渡航前後に記者会見を行い、今後の自分の動向や、プロレス・格闘技界に意見を言う「成田会見」が定番である。
- 力道山は、角界と関係修復を計る際、『猪木を一度大相撲に入門させ、十両になったらプロレスに復帰させる』と言う計画を持っていたが、猪木自身はこの事を知らなかった。
(出典:Wikipedia)
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