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アントニオ猪木-寛水流空手発足の経緯について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.寛水流空手
3.1.寛水流空手発足の経緯

『いつ何時誰の挑戦でも受ける』と表明したアントニオ猪木に対して、安藤昇の小説『東海の殺人拳』のモデルとして知られる空手家・水谷征夫が『ルールの無い命をかけた戦い』を申し入れた。

その申し出を猪木は承諾し、具体的な話が進められた。なお、「ルールの無い命をかけた戦い」とはプロレスと空手のいかなる技も自由とし、急所攻撃さえ禁止しない、勝負は生死をもって決するというものである。

水谷が鎌、サイ、トンファーなど琉球古武術の達人でもあったことから、猪木の素手に対して鎖鎌で戦いを挑んだといわれているが、これは完全な誤りである。 素手に対して武器を持った相手の挑戦を猪木が受けるはずが無いのは明らかである。また、鎖鎌は日本本土の忍者が日本刀を持った相手に対して鎖の先に分銅を付け、振り回しながら刀を絡め取り、相手の首を鎌でしとめるために創案した武器であり、沖縄には存在しない(琉球古武術に使われる武器は農具を源流としており、農耕用の鎌を使った二丁鎌の型があるが、鎖鎌が使われることはない)。

この試合は両者で一旦は合意され、当時マスコミに「昭和の巌流島」として取り上げられた。猪木有利の予想の中、新間寿は水谷の実力を冷静な目で判断していた。そして、テレビ放映のスポンサーがつかなかったことと、水谷の貫手による目への攻撃や蹴りによる急所攻撃によって猪木に万一のことがあることを恐れた新間の必死の仲裁により、直前で中止された。

交渉の過程で水谷は猪木に対して、プロレス界のスターでありながら、一空手家の挑戦をリスク覚悟で承諾した姿勢に尊敬の念を抱く。また、猪木は、自らの命をかけて戦いを挑んでくる日本人がいることに驚嘆する。戦いを前に鋭く対立した二人であったが、その後交流を深め寛水流空手を創設した。水谷は1990年に死去したが、訃報を知った猪木は、盟友の早すぎる死に涙したという。 寛水流出身のプロレスラーには後藤達俊松永光弘などがいる。

(出典:Wikipedia)

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