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同年には「スポーツを通じて国際平和」の合言葉で、スポーツ平和党を結成。第15回参議院議員通常選挙にも比例区から99万3989票を集めて初当選(キャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」、史上初のレスラー出身の国会議員となり、「今話題になっているリクルート問題に対して私はこの一言で片付けたい“逆十字固め”」、「国会の場でも俺にしかできない事をやる」と宣言した。なお、当時参院比例区は政党名の投票であったのに対し、自身の知名度の高さから猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た(当時の参議院比例代表選挙は厳正拘束名簿式)。政治活動を続けながらもプロレス界からは引退せず、政治とプロレスの「二足のわらじ」で活動した。
1989年10月14日、福島県会津若松市で講演中に暴漢に刃物で襲われ左の頸部などを負傷すると、会場が一時騒然となる中、講演を中止する事無く、傷口をタオルで押さえたまま最後まで行った後、東京の病院に入院した。10月25日頭に包帯をし車椅子に乗った状態で、統一会派を組んだ民社党の配慮により、初めて質問に立った。
1990年12月1日、イラクにおいて「平和の祭典」を行うことを発表し、関係者や人質被害者41家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、人質状態にあった在留日本人と全人質が解放された。この勢いを元にその後行われた1992年7月第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。
1994年1月4日、東京ドーム大会で全日本プロレス出身の天龍源一郎と初対戦し、一旦はチョークスリーパーで天龍を落とし失神させたが、最後は天龍にパワーボムで敗北した。なお、この試合は1年間テレビ中継されなかった。なお、天龍は勝利したにもかかわらず、会場では涙を流した猪木に対する猪木コールに圧倒され、「猪木さんに飲み込まれた。僕はまだまだだね。」と語った