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オランダは1942年の日本軍による東インド攻略によって蘭印軍66,219名(連合軍82,618名)が捕虜とされたほか、民間人9万人余が捕らえられ、彼らが東インド住民を懲罰するために設けた監獄に収容されるという屈辱を味わった。オランダ人兵士の一部は長崎の捕虜収容所に収容され、そこで被爆した。また、日本軍がオランダ人女性を強制連行し慰安婦にした白馬事件が起こった。
終戦後、オランダは、捕虜虐待などの真偽が不明瞭な容疑で、多くの日本軍人をBC級戦犯として処罰した(連合国中で最も多い226人の日本人を処刑)。
戦後間もなくのオランダは、ドイツの侵略によって社会が疲弊していた。そんな最中、最大の植民地だった東インドをインドネシア独立戦争で失い、経済は大打撃を受けた。このことから独立戦争の要因を作った日本と、独立戦争の指導にあたった日本兵の行為に対する評価も加わり、反日感情が長らく残った。
1971年(昭和46年)、昭和天皇がオランダ訪問した際には卵が投げつけられ、1986年(昭和61年)にはベアトリクス女王の訪日計画がオランダ国内世論の反発を受けて中止された。その後1991年(平成3年)に来日した女王は、サンフランシスコ講和条約と日蘭議定書では賠償問題が法的には国家間において解決されているにもかかわらず、宮中晩餐会で「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」として賠償を要求した。それに対して日本政府はアジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施した。また2007年(平成19年)にはオランダ議会下院で、日本政府に対し「慰安婦」問題で元慰安婦への謝罪と補償などを求める慰安婦問題謝罪要求決議がなされた。2008年(平成20年)に訪日したフェルハーヘン外相は「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。オランダ議会・政府は日本当局に追加的な意思表示を求める」<ref>http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/10/25/20081025ddm007030117000c.html</ref>(http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/10/25/20081025ddm007030117000c.html</ref>);と述べた。