ランキングモンスター
1.経歴
1.3.プロ時代
翌1981年、プロテストに合格。7月プロ転向デビュー戦、後援競技『和歌山オープン』でいきなり優勝すると、デビューから4戦で3勝(2位1回)し、センセーションを巻き起こした。この年計6勝、新人としては史上最高の賞金ランク2位となった。飛ばし屋として知られ「ポパイ」とあだ名を付けられた。青木功、尾崎将司、中島常幸の「AON」に若手の倉本が絡んだことでツアーは大いに盛り上がり、ゴルフブームを興した。また同じ学士プロの湯原信光、羽川豊は“ニューウェーブ三羽烏”として注目を集めた。1982年には「全英オープン」で日本人選手の過去最高位・4位タイの偉業を果たす。1992年には通算25勝目をあげ、日本男子プロゴルフ史上5人目、大学出身唯一の永久シードを獲得した。生涯獲得賞金は、9億8981万8584円(2006年3月現在)で5位と青木功を凌ぐ。
この後は役職の激務からかスランプに陥った。2000年には心臓弁膜症の手術を受けるなど苦難のシーズンが続いたが、2003年アコムインターナショナル初日に、日本ツアー史上初の最少スコア、世界タイ(アニカ・ソレンスタムら過去4人)となる59ストロークという偉業を最年長48歳で達成し30勝目を上げた。「三歩、三秒で打つ」と自著で述べているように、早く打つことで有名。人間のリズムは三歩から始まり、イメージが持続するのは三秒まで、と自身の考えに基づくものとという。
(出典:Wikipedia)
ランキングモンスタートップ>倉本昌弘>プロ時代