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パナマ運河-歴史について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.歴史

1534年、スペインのカルロス1世(ハプスブルク王朝カール5世と同一人物)が調査を指示した。

スエズ運河の設計者レセップスがパナマ地峡に海面式運河の建設を計画し、フランスの主導で1880年1月1日に建設を開始したが、黄熱病の蔓延や工事の技術的問題と資金調達の両面で難航し、1889年に計画を放棄した。

アメリカ合衆国1902年に連邦議会でパナマ地峡に運河を建設することを決定した。当初パナマ地峡は自治権をもつコロンビア領であったが、パナマ運河の地政学的重要性に注目したアメリカ合衆国は、運河を自らの管轄下におくことを強く志向した。1903年1月22日、ヘイ・エルラン条約がアメリカとコロンビアとの間で結ばれる。しかし、コロンビア議会はこれを批准しなかった。1903年11月3日、この地域はコロンビアから独立を宣言しパナマ共和国となったが、アメリカ合衆国は10日後の11月13日にこれを承認し、5日後の11月18日にはパナマ運河条約を結び、運河の建設権と関連地区の永久租借権などを取得し工事に着手した。1903年から工事を始め、3億ドル以上の資金を投入し、1914年8月15日に開通した。運河収入はパナマに帰属するが、運河地帯の施政権と運河の管理権はアメリカに帰属した。

建設には日本人の青山士(あおやまあきら)も従事。彼は帰国後、内務省の技官になり、信濃川大河津分水路補修工事や荒川放水路建設工事に携わった。

運河地帯両岸の永久租借地にはアメリカの軍事施設がおかれ、南米におけるアメリカの軍事拠点となっていたが、1960年代にパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなる中で、軍事クーデターによってオマル・トリホスが権力を握った。これを契機にアメリカ合衆国と返還をめぐる協議が始まり、1977年ジミー・カーター大統領の時代に新パナマ運河条約が締結されたことにより、当運河および当運河地帯の施政権は1999年12月31日にパナマへ正式に返還され、アメリカ軍は完全に撤退した。なお、第二次世界大戦中はアメリカ海軍の艦艇はパナマ運河航行限界で建造されている。これは、東海岸から太平洋戦線への投入の措置であり、パナマ運河の軍事的要衝の証明である。

現在のパナマ運河はパナマ共和国が管轄している。通航量の増大や船舶の大型化の流れを受けて、2006年4月に運河拡張計画がパナマ運河庁より提案され、10月に国民投票により実施されることが決定された。総事業費6,000億円で、単独財務アドバイザーをみずほコーポレート銀行が務める。この計画は、既存の閘門の近くに新たに大型の閘門を増設する計画となっており、以前に別ルートとして計画されていた第2パナマ運河計画とは別物。

(出典:Wikipedia)

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