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オフィシャルIRAは1950年代に実行されたボーダー・キャンペーンの失敗を引き合いに出して、IRA暫定派の動きを分派主義者による無謀な賭けであるとして非難した。オフィシャルは労働者の間に政治的基盤を形成して政治的な解決を図ることを模索していた。それに対して暫定派は、武力を用いなければ北アイルランドのカトリック教徒を保護できないと主張し、北アイルランド政府への積極的な攻撃を指向した。暫定派はオフィシャルIRAの「コミュニスト的傾向」を批判し、伝統的なアイルランド共和主義の考えに則って北アイルランド政府はもちろんのこと、アイルランド共和国の正当性をも否定していた。
IRA暫定派が結成された際に、当時アイルランド共和国政府を率いていたフィアナ・フォール(アイルランド共和党)の閣僚が暫定派に資金を提供していたとのスキャンダルが持ち上がったことがある。捜査は明白な証拠が発見されないまま終わり、事件の真相は現在も明らかとなっていない。
暫定派結成時の指導者にはIRAの「参謀長」を務めた経験のあるショーン・マックスティオファンやシン・フェイン暫定派の初代党首であるRuairí Ó Brádaighなどがいた。この他にはDáithí Ó Conaill、Joe Cahillなどがおり、これらのメンバーによってIRA軍事協議会が構成された。設立宣言はイースター蜂起において発表されたアイルランド共和国 (Irish Republic) 暫定政府の設立宣言書に酷似しており、自身の正当性を主張する意図が読み取れる。
行動方針は1969年以前のIRAのものをほぼ採用した。それによると、北アイルランドのイギリス統治はもちろんのこと、アイルランド共和国 (Republic of Ireland) をも非合法であるとしており、上に挙げた暫定政府の正規軍であると認められていたIRA軍事協議会こそが統一アイルランド (Irish Republic) の正統政府であるとされている。このような正閏論的な主張は1986年に撤回されたが、IRA暫定派の政治組織であるシン・フェインは現在も英国下院への登院を拒み続けている。
北アイルランド社会が混迷さを深めてゆくにつれ、オフィシャルIRAとIRA暫定派は共に武装闘争を視野に入れ始めた。自身の行動規定を「防御的」であると主張していたオフィシャルIRAとは異なり、IRA暫定派はプロテスタント主体の北アイルランド政府に対して攻撃的な姿勢をとった。アイルランド共和主義者の間では当初オフィシャルIRAに対する支持がより大きかったが、1972年にオフィシャルIRAが無期限停戦を発表すると、次第にIRA暫定派へ支持が集まっていった。1971年頃になると、暫定派は北アイルランドにおけるIRA組織とその他の地域における活動的メンバーをほぼ手中に収めていた。北アイルランドの若者の間では暫定派への参加が増加しており、このような若者たちは69ersという名称で呼ばれていた。暫定派は政治組織としてシン・フェイン暫定派を有していたが、初期には政治活動の有効性に大して強い疑問を抱いており、軍事行動へと邁進していった。