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1885年(明治18年)12月22日、内閣職権に基づいて伊藤博文が初代の内閣総理大臣として内閣を組織したのが始まりとされている(ただし、「内閣」と言う用語自体は1873年6月に太政官正院内に設置された太政大臣と参議から構成される合議体を指す言葉として使用されたのが初出である。また、内閣書記官長は非常設ながらその時期より設置されている)。
4年後の1889年(明治22年)に制定された大日本帝国憲法においては行政は天皇が行うものとされて、国務大臣が天皇の輔弼を行うとする規定(55条)にあるものの、内閣・内閣総理大臣の規定は存在しなかった。内閣は当時の「内閣官制」という法令で定められたものの、「内閣総理大臣は(国務大臣)同輩中の首席」でしかなく、実はその職掌すらも明確にはされていなかった。内閣閣僚に対する任免権もなく(親任官のため任命権者は天皇)、「閣内不統一」は直ちに内閣総辞職に結びついた。
また、内閣総理大臣は天皇からの大命降下によって組閣を命じられる事になっていたが、その人選は「元老」や「重臣」と呼ばれる首相経験者などの推薦を経て任命される事になっており、大正末期から昭和初期の政党内閣時代においてさえも、あくまでも総選挙の結果を参照した元老の推挙によって政党党首への大命降下が行われたのである。
また、組閣に関しても陸軍大臣及び海軍大臣は現役の大将・中将をもって任命するという軍部大臣現役武官制が一時期を除いて採用されており、軍がその規定を利用して内閣の人事に介入することもしばしば行われた。さらに陸軍・海軍は軍政の面では一応大臣の下にあったが、軍令の面では天皇に専属する「統帥権」として独立した立場にあった。軍令の権限が現在よりも強かったこともあり、内閣が軍事政策に関与する事は事実上困難であった。