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古代末期に教義の違いから分離した教派(東方諸教会)は、エジプト、エチオピア、西アジアなどに勢力を張った。その後7世紀にアラビア半島にイスラム教が興ったのちは、ムスリムによる差別やイスラームの魅力などを理由にイスラームへの改宗が進んだものの、少数者の宗教として現代に到るまで存続している。例えば現在エジプトの人口の1割はコプト系のキリスト教徒である。
東ローマ帝国圏内のギリシア語を主に用いる教会と、西ヨーロッパ・北アフリカのラテン語を主に用いる教会は、教会観の違いや政治上の背景の違いから神学上の大きな差異を生じ、これも分離していった(東西教会の分裂)。もとより西方では、ローマ教皇が地方行政権を持ち、一大政治勢力でもあったのだが、分裂後はこの傾向が一層強まった。西方からは、ゲルマン、スカンジナヴィア、一部スラブ地域への伝道が行われた。その一方、ゲルマン民族の襲来とイスラム国家の進展によって、北アフリカは西方キリスト教地域から失われた。
中世西ヨーロッパのローマ・カトリック教会においてはローマ教皇が繁栄を極め、精神世界の頂点にあった。教会や付属団体がキリスト教を献身的に奉じて多くの国で熱心に神の言葉を広めたり修道院を建てるだけでなく、人間精神への多大な影響力を通じて、ついには当時の君主たちが持つ政治力に匹敵するほどの力を得て民衆の支持を受けた。権力の集中は教皇や高位聖職者の腐敗を招き、一部には本来禁じられている蓄妾や聖職禄めあての役職の兼任などの弊害も出た。
この時代 多くの人間は生涯を神に捧げ、教会に土地、金銭、財産を寄付することで信仰を態度に表した。そのためローマ教皇は徐々に西ヨーロッパ大陸で一番重要な人物となっていった。神への一途な献身と崇拝を示すために、豊かな資産でしばしば美しい大聖堂が建設された。教会の修道院は勉学と研究の場であり、のちに現代の大学の基礎となった。また教会は病人の看護のための最初の病院を作った。その一方で、当時の社会不安と聖書中の終末預言が結びついた集団的熱狂もたびたび現れた。
一方、正教会、東ローマ帝国圏内においても、教会は人々の精神生活の中心となり、壮麗な教会が建造され、修道院が繁栄した。ギリシア語圏であるため、人々の多くは聖書に親しみ、ために神学論争はときに庶民をも巻き込むことがあった。イスラム圏と対峙し、勢力の縮小に悩まされていた地域であったため、この頃制定また整備された正教会のいくつかの祭りには、異教徒への対抗心を含んだものもある。また東方では本来終末論はあまり広まらなかったのであるが、帝国末期には、終末論や天国・地獄を描いた伝承も現れるようになった。また東ローマ帝国からは、周辺の異教の地域への布教が積極的に行われた。周辺諸民族のなかには、帝国の豊かな文化と技術また外交上の利点を魅力として、国家単位で改宗するものもあった。