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3.キリスト教徒の歴史
3.2.1千年紀|起源1千年紀
キリスト教信仰は、政府の弾圧にもかかわらず西暦64年から313年の間にローマ帝国内で花開いた。聖書以外で「クリスチャン」という言葉が出てくる最古例は、タキトゥスによる記録で、皇帝ネロが64年のローマの大火をキリスト教徒の犯行だと非難したとするもの。
200年頃にはテルトゥリアヌスがキリスト教徒迫害について「殉教者の血は(教会)の種となる」と語った言葉が引用された。エウセビオスの『教会史』2巻25章4節の記述(英文)では
- ローマ人テルトゥリアヌスもまた(ネロがキリスト教の敵となった最初の皇帝であることの)証人である。彼は次のように書いている
- 記録を調べてみよ。そうすればこの教義を最初に弾圧したのがネロで、東方を征服したあと今まで以上にローマで残酷の限りを尽くしたことがわかるだろう。彼のような男が我々を迫害するリーダーであったことを誇りに思う。なぜならネロを知っている人間ならわかることだが、あの男は非常に素晴らしいものは必ずつぶしにかかるからだ。
313年、皇帝とも呼ばれる)に始まり、キリスト教徒は政治への強い影響力を手に入れた。その結果おこった様々な出来事は今日までも論争の的になっている。
380年にはテオドシウス大帝がニカイアのキリスト教を国教と定め、392年には他宗教を禁止し、キリスト教は古代ローマ帝国で完全に国教化した。かつての迫害期から考えれば、とてつもない変化である。
キリスト教徒達は目に見える普遍教会を統率し指導していくために、何世紀もかかってヒエラルキー(叙階)を作り上げた。教会の成立時から1054年の大シスマ(東西教会の分裂)までの期間、すべてのキリスト教徒は主教(司教)という地元の、そして総主教(総大司教)という地域の指導者のもと、目に見える1つの組織である唯一の教会に属していた。
しかし451年のカルケドン公会議の頃からすでに教義の解釈のちがいから小さな分裂がおこっており、全地公会議が続く間も続いていた。
(出典:Wikipedia)
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