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2.歴史
2.3.近代以降

明治維新後は、首都機能が京都から東京へと移ったことおよび、蔵屋敷が不要になったことなどもあって一時的に衰えを見せた。しかし、繊維関係を始めとする軽工業部門を中心に商工業が発展し、現在大企業として存続する企業が勃興しメセナが活発に行われた。この時代は「阪神間モダニズム」と呼ばれた。

太平洋戦争中は、尼崎の機械工場、中央区の造幣局、中心地の商業地区、港湾施設への徹底的な爆撃のため、都市は灰燼(かいじん)に帰した。また、この時期空襲を避ける目的で府下に工場移転が行われ、それは戦後の衛星都市での産業の基盤になった。

戦後高度経済成長期に入ると、阪神工業地帯内でも軽工業の比率が高かった大阪府下の経済は閉塞的な様相を見せるようになった。当時の花形産業だった重工業も、大阪砲兵工廠がなくなったことにより大打撃を受け(その補完機能としての中小企業は多かったし、それをルーツとする企業もまだ現在も残ってはいるが)、大阪府の遠浅の海岸線では誘致および大型化が難しかったこと(その証拠に、阪神間など大型船の入りやすい箇所に多数、重工業は存在している)、また公害対策でその他の土地に移転させたこと、さらに造船業に至っては戦後から長らく続く造船不況などが特に中小規模の商船を直撃したことなどが原因と言われている。

また、戦後の法整備から、大阪独自の奉公人制度も衰退し、商都の軸足も東京へと移動した。これによって、官には頼らないという土性骨(どしょうっぽね ど根性)により大阪文化を支えていた富裕層からの寄付が減り、貧弱な官主導のため、文化水準は大幅に低下した。

これらに追い打ちをかけるように、1964年工場等制限法近畿圏の既成都市区域における工場等の制限に関する法律)、1972年工業再配置促進法1973年工場立地法といった、いわゆる工場三法が次々と制定された。さらに1966年には中部圏開発整備法が制定され、製造業が近畿圏から中京圏へ流出するきっかけとなり、大阪にとって打撃となった。

こうした中、1970年に大阪市の北隣、吹田市千里丘陵日本万国博覧会が開催された。これは東京オリンピックとあわせて戦後日本の復興を象徴する出来事とされている。なおこの時の会場は、現在万博記念公園として整備されている。

1995年阪神・淡路大震災では、震源から距離があったため豊中市などを除いて直接的な被害は少なかったがそれでも大阪市で震度4を記録した。しかし、豊中市などの地域では強い地震に見舞われ死者9名を出すなど、家屋への大きな被害が発生した。その他、ライフラインの途絶や交通機関の麻痺など少なからず影響を受けた。現在も和歌山沖、および北摂で微小な群発地震が観測されている。

都心は大規模なオフィス街が広がり、梅田中之島周辺のビル街は40を越す高層ビルが林立し、日本有数の高層ビル密集地域となっている。昭和の終わりまでは、古い商家も点在したが、現在ではほとんど見られない。さらに、明治大正昭和初期の鉄筋建築も老朽化のため逐次姿を消す。

2008年に行われた夏季オリンピックに立候補するも、2001年7月のIOC総会で落選(詳細)。 2002年FIFAワールドカップ長居スタジアムで開催された。開催試合はイングランド戦や決勝トーナメントを決めた日本戦並びに準々決勝。

かつては東京都に次ぐ人口国内第2の都市だったが、2006年5月1日神奈川県が大阪府の人口を上回ったため現在の人口は第3位である。しかし昼間人口は現在でも東京都に次いで2番目である。その理由の一つとして、兵庫県奈良県和歌山県など、大阪府の通勤通学圏内の範囲で、地価などが安い郊外住宅を購入し、そこへ移り住んだということが考えられている。また全国第46位という小さな面積であるため人口密度は全国第2位と高い。可住地面積比率は、69.4%と日本で最も高い。

2007年には、大阪市長居スタジアムで『2007年世界陸上選手権』が開催された。スポーツの国際大会として、世界の多くの人々が大阪府へ訪れた。府は、この大会を通じて改めて大阪の街を世界にアピールできたとしている。

(出典:Wikipedia)

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