ランキングモンスター

大東亜戦争-呼称を巡る状況について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.戦後の呼称
3.4.呼称を巡る状況

日本の公教育、公文書作製、言論出版界においては、1952年の講和独立以降も、この「自己検閲」が続いており、「大東亜戦争」という言葉はほとんど一切使用されなかった。現在、「大東亜戦争」を使用している、いわゆる保守系の作家や評論家、雑誌や新聞も、この頃は洩れなく「太平洋戦争」と記述していたのである(一方、戦中派の一般国民の多くは大東亜戦争という言葉を遣い続けていた)。

このような風潮に対し公然と叛旗を翻した著述が、1964年に出された林房雄著『大東亜戦争肯定論』と1967年に出された名越二荒之助著『大東亜戦争を見直そう』であった。この2冊の出版に対して、左右両派から賛否の声が挙がり、論議を呼んだ。この2冊はその後も版を重ね、社会主義幻想の崩壊等の他の要因とも相まって、日本人の先の大戦に関する考え方に少しずつ変化をもたらしていった。現在活躍中の保守派知識人の多くが、かつてこの二冊を読んだことを述懐している。

また1980年代に、作家の山中恒は、辺境社から出版した『ボクラ少国民』シリーズのなかで、戦争の目的を直視してそれに批判的であるためにあえて「大東亜戦争」の呼称を用いるべきだと主張した。これに対して、時代が平成に変わる前後から「大東亜戦争」という言葉が保守系の月刊誌で部分的に使われ始め、1990年に中村粲の『大東亜戦争への道』が出された前後からは、その使用回数がさらに増えている。『諸君!』『正論』『文藝春秋』『Voice』等での使用頻度を数えてみればそれは一目瞭然である。もっとも、『前衛』や『論座』等のいわゆる左派系の月刊誌では、「大東亜戦争」が用いられる事は、現在もほとんど皆無である。

日刊紙では「太平洋戦争」が主流であるが、『産経新聞』は比較的「大東亜戦争」を多用している。『読売新聞』は、2006年8月13日の紙面で、満州事変から太平洋戦争終了までを「昭和戦争」と呼称するよう提唱したが、同紙以外で使用することは稀である。

大東亜戦争の呼称に否定的な意見としては、大東亜戦争の呼称の使用を主張する意見は、右派勢力を中心に大東亜戦争の思想背景でもある大東亜共栄圏の理念を揚げ、戦争は解放戦争だった、良い面もあったなどといった自国中心の見解を示す者が多いこと、またこのことから「大東亜戦争」の呼称を使用する事が「戦争賛美」、「復古的国粋主義を煽る」、「中韓を初めとしたアジア諸国への侵略に対する反省が乏しい」ことを表しているとして、使用に反対する意見も根強い。これらの意見を主張している人々はリベラル左翼が主であり、保守・右翼はこうした主張を自虐史観と非難している。

なお、旧海軍軍人の中には戦後「日本にとって真の敵は(中華民国やソ連ではなく)アメリカであり、したがって大東亜などと無駄に戦域を拡張するべきでなかった」との反省から、「太平洋戦争と(歴史的には)呼称すべきだ」と主張する人々が存在した<ref>佐藤和正著『艦長たちの太平洋戦争』(光人社、1983年)</ref>。

他の呼び方として、1931年の満州事変と1937年の盧溝橋事件に始まる日中戦争を大東亜戦争と一体のものとみて、十五年戦争アジア・太平洋戦争と呼称することもある。しかし、満州事変に関しては塘沽協定(1933年)で停戦が成立しており、一続きの戦争とみなすことについて否定的な見解もある。ただし、休戦や講和をはさんだ一連の戦争を一続きのものとしてとらえること自体は決して特異な見解ではない(例えば「百年戦争」や「三十年戦争」などの呼称が歴史学で使われている。これらも十五年戦争と同じく、後世の視点で一連の戦争を総括して呼ぶ呼称として生まれた。)。更に庶民の日常感覚では、1937年以降が「戦争」であったことは、同時代の証言としては徳田秋声の『縮図』冒頭部分の記述があり、戦後の証言としては安岡章太郎の回想がある。

また、イギリス歴史家クリストファー・ソーンは「極東戦争」という呼称を提唱している。なお、少数ながら主に民間で「8年戦争」という呼称が使用されている。

(出典:Wikipedia)

ランキングモンスタートップ大東亜戦争>呼称を巡る状況

大東亜戦争を検索
大東亜戦争のブログを検索
大東亜戦争の動画を検索
大東亜戦争の画像を検索
大東亜戦争の書籍を検索
大東亜戦争の音楽を検索
大東亜戦争のDVDを検索
人気の音楽・映画・コミックのランキングランキング★モンスターでチェック!