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「大東亜戦争の開始は昭和12年」と主張する人々がその根拠とするのは、当時の東條内閣が1942年1月に「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」を帝国議会に提出する際、「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」説明基準<ref name=F />を添付したことである。その中には、「(イ)今次勃発ノ対米英戦ノミヲ支那事変ト区別シテ大東亜戦争ト称スルモノニ非ザルコトヲ示ス。」「(ロ) 更ニ、右決定(注・「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」<ref name=C />のこと)ハ、今後大東亜戦争ナル呼称ヲ用フル場合ニハ昭和十六年十二月八日前ノ支那事変ヲモ包含スルモノナルノ意ヲ含ム。」と記されている。
しかし、この文章が意味するところは、「昭和十六年十二月八日前ノ支那事変」自体が大東亜戦争に含まれるということではない。当時の法律の文中から「支那事変」という言葉が一切消え、「大東亜戦争」という言葉だけに変わってしまったが、今後も公債発行や農村負債処理のことなどでこれらの法律を運用していく際は、「昭和十六年十二月八日前ノ支那事変」期間中のことも引き続き適応対象となる、というほどの意味である。
もっとも、この「大東亜戦争呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律」(昭和17年2月18日法律第9号)によって「大東亜戦争」が指す期間の定義については、当時の国民の間にも様々に解釈が生じたことは事実である。例えば貴族院議員の村上恭一は、1945年11月30日の第89回帝国議会・貴族院「昭和二十年勅令第五百四十二号(承諾を求むる件)特別委員会」において、昭和17年法律第9号がある以上「大東亜戦争の開戦は昭和12年ではないか」と質問している。これに対し、松本烝治国務大臣は、この法律によって「法律、勅令の適用の範囲」に付いては「支那事変」と「大東亜戦争」とは「一体を成して区分すべからざる状態」になったとしているが、支那事変と大東亜戦争は「観念に於いて区別がある」と答弁している<ref>第89回帝国議会・貴族院「昭和二十年勅令第五百四十二号(承諾を求むる件)特別委員会」、1945年(昭和20年)11月30日、発言番号22,23参照、帝国議会会議録検索システム</ref>。
ちなみに、1941年12月12日の閣議決定では、「平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス」とある。また、厚生労働省の資料に基づいて戦没者を祀る靖國神社では、戦死者の数は1941年12月8日より前の「支那事変」と「大東亜戦争」を分けて集計している。