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3.沿革
- 6月 - 松下幸之助が大阪府東成郡(今の大阪市東成区)猪飼野の借家で電球用ソケットの製造販売を始める。当時は松下幸之助の妻“むめの”と妻の弟である井植歳男(後の三洋電機の創業者)の3人で営業していた。
- 3月7日 - 大阪市北区西野田大開町(今の大阪市福島区大開2丁目)に移転。松下電気器具製作所を創立する。
- - 最初の商品「国民ソケット」を発売。
- - 自転車用角型ランプを販売。この商品から「ナショナル (National)」の商標を使用しはじめる。
- - ラジオの生産を開始。
- - ラジオの重要部の特許を買収し、同業メーカーに無償で公開。戦前のエレクトロニクス業界の発展に寄与。
- - 大阪府北河内郡門真町(現・門真市)に大規模工場を建設して移転。事業部制を導入。
- - 松下電器産業に改組、松下電器(現・パナソニック電工)などを分社化。「国民ソケット」発売。
- - 「ナショナル」のロゴ書体「ナショ文字」制定(1987年に使用中止)。
- - 軍需産業に参入。木造船や木造飛行機を生産する。
- - 第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により制限会社の指定を受けた。しかし、軍需産業とみなされたことと大資本のため統廃合の制限がされた松下電工(当時 松下航空工業)以外の分社を再統合(合併)して事業部制に戻し、洗濯機などの製造を開始した。
- - 制限会社の指定を受けたことに伴い、専務取締役の井植歳男が公職追放。同氏が、兵庫県加西郡北条町(現・加西市)の松下航空工業北条工場と自転車用発電ランプの製造権、職員の一部を引き継ぎ三洋電機として独立。
- - オランダのフィリップスと提携し、松下電子工業を設立。
- - 戦争でほぼ壊滅状態にあった日本ビクターと資本提携する。その際ビクターを吸収したりせず、ビクターとは競争しながら発展していくという関係をとることになった。その理念は社長が変わった後も続いていたが、2007年秋に資本関係を解消する事に合意した(同年8月に総額350億円の第三者割当増資をケンウッド、スパークス・グループに行い、松下の保有比率は36.90%となり連結子会社から外れ、持分法適用関連会社となった)。
- - 「Pana Sonic」ブランドを、単体スピーカーユニット8P-W1(のちに国内向けは「EAS-20PW09」に型番変更)の輸出に初めて使用。
- - 全国の“街の電器屋さん”が加盟する日本で最初の系列店ネットワーク「ナショナル店会(後のナショナルショップ制度)」が発足。高度成長期の強大な販売網として機能し、ピーク時には全国で約5万店にまで増加したが、後継者不足や量販店との競争激化により現在は約1万8000店にまで減少している。
- 1月 - 松下正治副社長が社長に就任。
- - 『熱海会談』。系列店への熾烈な販売ノルマや、テレビの不良品などが問題化し、3日間に亙って紛糾。幸之助が会長兼営業本部長代行としてトップセールスに復帰する契機になる。
- - 完全週休2日制を実施、新販売制度(流通経路の短縮主体)。高度成長路線に乗る。
- - 英字表記の「NATIONAL」ロゴを国内向け製品に、「PANASONIC」ロゴを海外向け製品、および国内向けトランジスタラジオに使用開始。「ナショナル」が米国で商標登録されており使用できなかったことがその動機だが、「パナソニック」に落ち着くまでに、1964年5月に「NATIONAL PANASONIC(ナショナル・パナソニック)」で米国への輸出が認められ、以後、「KADOMAX(カドマックス)」、「マツシタ」、「マーツ」を経て「パナソニック」となっている。
- - 東京電気化学工業(現・TDK)と提携。
- - 日本万国博覧会に松下館を出展。当時の文化の資料を収め5000年後の開封を目指したタイムカプセルを展示した。
- - 「PANASONIC」ロゴを、現在の「Panasonic」へ変更。
- - 「NATIONAL」ロゴを、現在の「National」へ変更。パナファコム株式会社(現:株式会社PFU)を設立。
- 2月 - 山下俊彦取締役が社長に就任。
- VHS方式のビデオテープレコーダ(マックロード)を発売。蛍光灯「パルック」発売。
- - 富士通FM-RのOEM仕様のデスクトップPC「PanacomM500/700」を発売<ref>本製品は開発元がパナファコム(PFU)であり、富士通ブランド、松下ブランド、そして事務系の内田洋行ブランドの3種類のブランドで販売されている。又、日立製作所のパーソナルワークステーション『FLORA』は、内田洋行とPanafacomが合併する以前、PanafacomによってOEM供給されていたものである。</ref>。
- - テレビ・ビデオデッキ・CDラジカセ・ミニコンポなどのAV家電部門が、ナショナルブランドからパナソニックブランドへ移行する。
- - 新しいスタイルのナショナルショップチェーン「パナック」を立ち上げ。
- - MCA社(現・ユニバーサル・スタジオ)を子会社化。
- 10月 - DCCデッキ RS-DC10を発売。
- 2月 - 森下洋一専務が社長に就任。
- )に移行。
- - MCA社への出資分80%をシーグラム社に売却。
- 4月 - 光ディスクPDを開発。
- - 社内分社制を導入(関連する事業部を統合・集約)。
- - 松下電子工業を吸収合併し、社内分社として「半導体社」「ディスプレイデバイス社」「照明社」の3部門を設ける。また、同社傘下にある宮田工業(自転車や消火器などのメーカー)の保有株式の半数をモリタへ譲渡。任天堂と共同開発商品DVD/GAME Player Q発売。
- - 業績悪化により、2001年度末までに13000人を早期退職<ref>2008年10月1日に大阪のネット喫茶で放火事件を起こし、15名の死者を出した事件の被疑者は、この時退職した1人である。</ref>させ、企業年金を減らす事業の再構築を推し進めた。村山敦副社長は、『しんぶん赤旗』や週刊誌などの批判に対し、「私はこれだけの人が会社を去って、これだけ摩擦やトラブルが極小であったケースは稀まれであると思う。皆さん方は、人を大切にするやり方で、この特別ライフプラン制度をやりきったと、自信を持って胸を張って頂きたい。」と自賛した。しかし実態は、退職を拒むと再教育と称して草むしりなどの雑用をさせたケースもあったという(日勤教育参照)。
- - グローバルブランドをPanasonicに統一、グローバルブランドスローガン「Panasonic ideas for life」の導入。
- - アルカリ乾電池以来40年ぶりとなる新型の乾電池「オキシライド乾電池」を開発。
- 4月1日 - 戦後長らく独立路線であった松下電工を再び子会社化。ブランド戦略や経営戦略、研究開発にいたるまで統一的に展開することになり、互いの重複事業の再編と家電の営業部門の統合を行った。その結果、両社の共同経営会社のパナホームも松下電器産業直轄の子会社となり、松下電工とともに松下電器産業の住宅・電気設備のセグメント(電工・パナホーム)として組織上の再編が行われた。
- 7月31日 - 同社初のBlu-ray Disc方式のレコーダーを発売。
- ソフトウェア特許侵害を主張してジャストシステムを告訴。一審で勝訴したものの控訴され、松下製品の不買運動なども発生。二審において逆転敗訴で決着。<ref>尚、前出のPanafacom及びFM-Rシリーズ及び日立製作所のFLORAパーソナルワークステーションにはジャストシステムの一太郎Ver.4及び花子Ver.2がバンドル及び対応商品が販売されていた。尚、元来この製品群は一太郎のバンドルを前提で開発されている。</ref>
- 同社傘下の松下興産株式を大和ハウス工業へ譲渡との話が出たものの、条件が折り合わず断念。結局は金融機関の債務免除を経てアメリカの投資ファンド、エートス・ジャパンへと譲渡。松下興産は、その後、不動産事業の譲渡などを通じ、実質的にMID都市開発に事業を継承した。
- 1985年から1992年製のFF式石油温風機によるCO中毒事故で死亡者が出たことが発覚。無償修理が発表されたが、発表後も事故が発生。→詳細は後述
- 1月 - オリンパスと一眼レフデジタルカメラの共同開発で合意したと発表。
- 2月 - プラズマディスプレイの開発に関して日立製作所と提携し、同社と合弁で特許管理会社を設立する他、原材料の調達や電子部品の開発などを共同で行うことを発表。
- 3月 -石油暖房機、石油ファンヒーター、石油ストーブ、石油給湯機の生産、販売は終了し、ナショナルショップにはコロナ製の石油ファンヒーターが供給された。
- 12月 - リコール済み石油温風機で死亡事故発生。松下グループはこの月、松下電工、Panasonicブランドの割り当てを含め、全商品のCMを自粛し、お詫びCMを10日間放映し、総時間数は約80時間にも及んだ。
- 12月7日 - 韓国のサムスンSDIは同社のプラズマディスプレイパネル (PDP) 関連の特許9件を侵害されたとして、松下電器を相手取り、米ロサンゼルスの連邦地裁に提訴したのをきっかけに、両社双方提訴したが、2008年1月に和解している。
- 6月 - 大坪文雄専務が社長に就任。中村邦夫社長が会長に就任。
- 10月 - 翌年3月までに家庭用ガス器具の生産、販売を終了すると発表。なお、家庭用燃料電池のライフエルおよびTESの端末である浴室暖房乾燥機の生産は続行、アフターサービスおよび部品供給はこれまで通り行う。ガス器具の売り上げは130億円だった。リンナイ、ノーリツ、パロマに比べ規模が小さく、収益の上がる見込みなしと判断し、ガス器具からの撤退を決定した。近年、ガス器具の部品管理が家電部品部門に統合されるなど、会社内での電化商品の販売推進の経営方針もあり、ガス器具部門の衰退が伺えていた。ガス器具撤退に伴い『ナショナルガス器具』の看板を販売店は降ろすことになり、ナショナルショップには2007年3月にリンナイガス器具が供給されることになっている。なお、2008年にガスファンヒーターの生産販売をノーリツに移行した。
- 時期不詳 - アナログ放送からデジタル放送への移行に伴い、同社で製造しているテレビ・録画機器のうち、地上デジタルテレビジョン放送非対応モデルの生産を全て終了すると発表。
- 2月 - VHS単体機の生産終了。(最終機種はDIGAを参照)
- 3月 - ポータブルMDプレーヤーおよびポータブルMDレコーダーの生産を終了。(最終機種:SJ-MJ500.SJ-MJ99.SJ-MJ100.SJ-MR270.SJ-MR240.SJ-MR50)
- 4月 - 地上デジタルテレビジョン放送非対応DVDレコーダーの生産を終了。(最終機種:DMR-EH75V)
- 7月1日 - 松下提供ラジオ番組「Panasonic Melodious Library」放送開始(TOKYO FM制作・JFN38局ネット。毎週日曜10:00~10:30)。
- 8月 - ブラウン管テレビの国内向け生産終了。(最終機種:TH-21/25FA8)
- 以上を以って、地上デジタルテレビジョン放送非対応製品の生産を全て終了した。
- 10月頃 - ポータブルCDプレーヤーの生産を終了。(最終機種:SL-CT520.SL-SX482.SL-PH660)
- 11月頃 - ヘッドホンステレオの生産を終了。(最終機種:RQ-CW02)
- 1月10日 - 同年10月1日より、社名を松下電器産業株式会社から「パナソニック株式会社」に変更し、白物家電に使われてきた「ナショナル」ブランドを全廃して「パナソニック」ブランドに統合すると発表。松下やナショナルが付くグループ会社も基本的にパナソニックを冠にした企業名に変更することを発表。
- 4月24日 - パイオニアとPDPのパネル・モジュールの開発と戦略的な生産供給に関する包括提携を行うことで基本合意した。PDPの自社生産から撤退したパイオニアに対して松下がパネルを供給。開発および生産の効率アップとコスト競争力の増強に繋げる。5月をメドに正式に提携を行う。
- 4月28日 - 一部報道により、松下と三洋電機が資本提携を検討中と伝えられるが、この当時は否定した。11月1日にも再び報道された。
- 5月15日 - ナショナルブランド最後の新製品である縦型洗濯乾燥機「NA-FR80S1/FR70S1」を発売。
- 6月26日 - 同日の株主総会で、社名を「パナソニック株式会社」への変更と、ブランドの「パナソニック」への原則統一が正式に決定。同時に系列店(パナソニックショップ)で(看板より)「National」ロゴの撤去作業を開始。
- 6月30日 - (この日製造・出荷・発売分を最後に)松下製白物家電における「ナショナル」商標の公式使用を全て終了(翌7月1日以降製造・出荷・発売分より、全ての松下製品商標を「パナソニック」に統一)。
- 8月25日 - 旧来の「ナショナル」製品在庫を9月30日までに完全ゼロとする計画を発表。
- 9月16日 - (10月1日の社名変更日に発売される)新生「パナソニック」白物家電を一斉に公式発表(製造開始時期の関係から旧社名での表記となった)。
- 9月27日 - 大阪府門真市の松下本社屋上にあった「松下電器」の切り抜き文字を完全撤去。
- 10月1日 - パナソニック株式会社に商号変更。企業グループ名もパナソニックグループとなった。同時に白物家電を中心に一部製品から撤退(冷凍庫単体機、ワインセラーなど)。
- 10月 - SDオーディオプレーヤー(D-snap)の生産を終了。(最終機種:SV-SD870N)
- 以上を以って、テープレコーダーを除く全てのポータブルオーディオプレーヤーの生産を終了した。これにより事実上、ほぼポータブルオーディオ市場から撤退した。
- 11月7日 - 経営再建中の三洋電機買収に向けた交渉を開始すると正式に公表する(成立すれば日立製作所を抜いて売上高約11兆円の国内最大手電機メーカーへと成長)。パナソニックの三洋買収の狙いは、三洋が持つ世界シェアトップのリチウムイオン電池と、世界7位の太陽電池事業にある。2005年 - 2006年にかけて、三洋電機のメインバンクかつ大株主である三井住友銀行がパナソニックに救済を依頼するも、交渉に至らずにいたが、今回は三井住友の打診に大坪社長自らが動いた。大坪は会見で「世界経済の厳しさは増し、さらなる成長のエンジンが必要だった」と語った。だが、背景には、エネルギー技術の戦略を早期に軌道修正する必要に迫られていたことがあげられる。
- 3月 - 1994年制定のパナソニックショップキャラクター「パナ坊」の公式使用を2010年3月31日を以て完全終了する事が決定。パナソニックショップ各店へ配布された同年4月発行のパナソニック各製品カタログにその旨の文書を同封。
- 6月 - 経営再建中の三洋電機を本年9月1日よりパナソニックグループの傘下に収める(パナソニックの子会社とする)事が正式決定(「SANYO」ブランドは子会社化後も存続)。
(出典:Wikipedia)