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共和政ローマ-政治体制について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.政治体制

共和政下のローマの政治体制は元老院政務官民会の三者によって成り立っていたとする考えが一般的である。市民全体によって構成される民会は政務官 (magistratus) を選出し、その政務官たちが実際の政務を行なう。この政務官経験者たちによって構成された元老院は巨大な権威を持ち、その決議や助言に逆らうことは難しかった。政務官の選挙にも元老院の意向が一定反映され、そうして選ばれた政務官たちによって元老院が構成されたことから両者は強く結びついた。

最も重要な政務官は執政官で、その命令権(インペリウム)は王の権力から受け継がれたものともいわれる。任期は1年で2名が選ばれた。執政官に欠員ができたときには補充選挙が行われるが、新たな執政官の任期は前任者のものを引き継いだ。

元老院は王政期から存在したとされ、その構成員は当初は貴族(パトリキ)のみであった。のちに元老院議員の資格は政務官経験者となり、平民(プレブス)にも開かれ、後世になってそうした平民は平民貴族と呼ばれた。前述のノビレスは、そうした平民貴族とパトリキの総称である。

民会にはいくつかの形式があった。当初は「クリア」と呼ばれる単位によって行なわれるクリア民会が行なわれていた。やがて兵制に基づく「ケントゥリア」を単位とするケントゥリア民会が中心となり、以後最も権威ある民会として機能しつづけた。この他、居住地である「トリブス」を単位とするトリブス民会(平民会)も行なわれるようになり、ケントゥリア民会にも一定トリブスが導入された。

当初のパトリキの支配からノビレスの支配に変わるまでにローマではパトリキとプレブスの「身分闘争」が行われたといわれている。戦術の変化などによって重要性が増しながらも政治的発言権の小さかったプレブスの間では、パトリキに対する反発が蓄積していた。こうした下層プレブスの不満を背景に、上層プレブスはパトリキから政治参加への妥協を勝ち取り、パトリキと一体化してノビレスを構成するようになった。この過程で紀元前494年にプレブスの権利保護を目的に護民官が作られ、ローマの政務官の一つとなった。護民官はプレブスのみが参加する平民会で選出され、他の政務官の決定や決議を取り消す権利(拒否権)を持った。また、護民官の身体は不可侵とされた。

この他特徴的な政務官としては、非常時のみに選出される独裁官が挙げられる。執政官2名の合議によって選出され、他の政務官と異なり同僚制を取らず1人のみが任命される。他の政務官の任期が1年であるのに対し、独裁官の任期は6か月と短く非常事態を打開したのち任期途中で辞任することもあった。独裁官は他の政務官全てに優越し、護民官の拒否権の対象ともならなかった。独裁官は副官としてマギステル・エクィトゥム(騎兵長官)を任命した。

(出典:Wikipedia)

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