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対極的に没落の運命をたどったのは、ローマ軍の中核をなしていた自由農民であった。連年の出征によって農地から引き離され、また属州より安価な穀物が流入したため次第に没落していく。この状況を打開するために、グラックス兄弟が、平民の支持を得て、土地分与の改革を実施しようとした。しかし紀元前133年に兄ティベリウス、紀元前123年に弟ガイウスが反対派によって命を落とし、改革は失敗に終わった。
第三次ポエニ戦争の後も対外征服戦争および反ローマの反乱などによりローマの軍事活動は止むことがなかった。(ヌマンティア戦争、ユグルタ戦争、同盟市戦争、ミトリダテス戦争、セルトリウスの反乱、3次の奴隷戦争など)。また、初めてゲルマン人がローマ領内へ侵入したのもこの時期であり(キンブリ・テウトニ戦争)、帝政ローマ期を通じローマを悩ませることとなった。
こうした状況では、優れた指揮能力を持つ者を執政官に選ぶ必要があった。その顕著な例が平民の兵士出身のガイウス・マリウスであった。彼は長期にわたる征服戦争への動員で没落した市民兵の代わりに、志願兵制を採用し大幅な軍制改革を実施した。この改革はローマの軍事的必要を満たし、かつ貧民を軍隊に吸収することでその対策ともなったが、同時に兵士が司令官の私兵となって、軍に対する統制が効かなくなる結果をもたらした。
はじめに軍の首領としてローマ政治に君臨したのは、マリウスとスッラであった。彼らの死後、一時的に共和政が平常に復帰したが、やがて次の世代の軍閥が登場した。ポンペイウス、カエサル、クラッススは、第一回三頭政治を行なった。クラッススの死後、残る二人の間で内戦が起きた。地中海世界を二分する大戦争は、紀元前48年にポンペイウスが死んだ後もしばらく余波を残した。
カエサルは、紀元前45年に終身独裁官となったが、王になる野心を疑われて、紀元前44年3月15日に共和主義者によって暗殺された。この後、カエサル派のオクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスが、第二回三頭政治を行なった。カエサルの遺言状で相続人に指名されたオクタウィアヌスは紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスに勝利し、紀元前27年に「尊厳者(アウグストゥス)」、「第一の市民(プリンケプス)」の称号を得て、共和政の形式を残しながらプリンキパトゥス(事実上の帝政)が始まった。