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胡適のまとめ


胡適(こ せき、もしくは こ てき)は中華民国の学者・思想家・外交官。原名は嗣穈、は希疆、後に適と改名した。「適者生存」に由来する。字は適之

清末上海中国公学を卒業後、1910年宣統2年)にアメリカコーネル大学農学を学び、次いでコロンビア大学デューイのもとでプラグマティズム哲学を学んだ。

1917年民国6年)、陳独秀の依頼に基づき、雑誌『新青年』に「文学改良芻議(ぶんがくかいりょうすうぎ)」をアメリカから寄稿し,難解な文語文を廃して口語文にもとづく白話文学を提唱し、理論面で文学革命を後押しした。ただし、彼自身にもいくつかの作品があるが、文学的才能には恵まれなかったようで、実践面は魯迅などによって推進された。同年、北京大学学長だった蔡元培に招かれて帰国、北京大学教授となりプラグマティズムにもとづく近代的学問研究と社会改革を進めた。

1919年(民国8年)、『新青年』が無政府主義共産主義へと傾いて政治を語るようになると、胡適は李大釗と「問題と主義」論争を起こし、社会主義を空論として批判した。やがて『新青年』を離れて国故整理に向かい、中国伝統の歴史・思想・文学などを研究整理した。

胡適はマルクス・レーニン主義を批判し、1922年(民国11年)、『努力週報』を創刊し改良主義を主張した。1925年(民国14年)前後にに関する論考を著し始める。1930年(民国19年)、大英博物館敦煌文書調査で発見した荷沢神会の遺文をもとに、『神会和尚遺集』を発表する。満州事変が起こると、1932年(民国21年)、『独立評論』を創刊し、日本の満州支配を非難している。蒋介石政権に接近し、1938年(民国27年)駐米大使となってアメリカに渡った。1942年(民国31年)に帰国し、1946年には北京大学学長に就任した。1949年(民国38年)、共産党国共内戦に勝利すると、アメリカに亡命し、1958年(民国47年)から台湾に移り、外交部顧問となった。その後、中央研究院長に就任し、『水経注』や禅宗史の研究に取り組んだ。

胡適の目次
 1.著書
(出典:Wikipedia)

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