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立花鑑通のまとめ
立花 鑑通(たちばな あきなお、1730年1月20日(享保14年12月2日)- 1798年1月25日(寛政9年12月9日))は江戸時代中・後期の大名。筑後国柳河藩の第7代藩主。
第5代藩主・立花貞俶の三男。第6代藩主・立花貞則の同母弟。正室は黒田継高の娘。子は立花鑑門(長男)、立花通玄(次男)、立花通厚(三男)、立花鑑一(四男)、立花鑑寿(五男)、娘(立花茂親室)、娘(立花寿徳室)、娘(戸次通栄室)、娘(立花通寛室)、娘(立花政峰室)、娘(矢島某室)、娘(小野隆儀室)。幼名は万寿丸。官位は従四位下、左近将監、侍従。
享保14年(1729年)12月2日生まれ。延享3年(1746年)、兄の貞則が暴漢のために死去した後、その養嗣子となって家督を継いだ。藩主となった後は藩政に尽力する。銀札を発行し、官制改革で奉行に代わって中老制を定め、藩兵の調練所を設置した。さらに領内の人口や戸籍を調べ上げたり、家中の統率のために取締りを厳しくしたり様々な法令を出したりした。
後継者には長男・鑑門を定めていたが、寛政元年(1789年)に先立って死去し、次に四男・鑑一に定めたが、寛政5年(1793年)に鑑一も先立って死去したため、やむなく五男・鑑寿をもって嗣子としている。その後も文武方を設置して武芸を奨励し、倹約令を発するなど、藩政改革を行なっている。寛政8年(1797年)閏7月22日に老齢を理由に隠居して鑑寿に家督を譲り、同年12月9日に柳河にて死去した。享年69。法号は大応院伝馨徳孔昭大居士。
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