ランキングモンスター
御湯殿上日記のまとめ
御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、宮中に仕える女官達によって書き継がれた当番日記。天皇の御所の中にある御湯殿の側に女官達の控えの間があり、そこに備え付けられていたといわれている。当番の女官によって交替で書かれたもので字体は女房文字(仮名文)。稀に天皇が代わりに書いたと思われる部分もあるとされている<ref>『言継卿記』天文17年1月12日条によれば、後奈良天皇がある件について調べるために過去の『御湯殿上日記』を調べたところ、そこが亡き父である後柏原天皇の直筆の部分であったことが記されている(松薗斉『日記の家 中世国家の記録組織』(吉川弘文館、1997年)P194-95)。</ref>。
本来はいわば宮中の機密日誌(秘記)であり非公開のものであったが、後日の参考のために写本が作られる場合もあり、そのため正本・写本・抄本を合わせると室町時代の文明9年(1477年)から文化9年(1826年)の350年分の日記が途中に一部欠失があるもののほとんどが伝わっている<ref>『薩戒記』応永32年11月6日条において、後小松院が記主中山定親に対して宮中のことは女房が扱っているためそれを記録できる人間がおらず自分が記録していたが、度重なる火災で失ったことを嘆く記述がある。この時期にまだ御湯殿上日記が存在していなかった可能性が高く、松薗斉は後小松院の没後に宮中を主導した後花園院が1450年前後に開始したとする説を提示している(松薗・前掲)。</ref>。特に戦乱の激しかった戦国時代の記録が残されているという点で貴重な史料である。また宮廷の女性達が用いていた文字や言語(女房言葉)の研究の分野においても貴重な資料となっている。
主に天皇の日常の動向が記述の中心であるが、宮廷行事や任官叙位、下賜進献などの宮中での出来事、皇族や女官の動向等、政治の表舞台には現れないような記事も見られる。『群書類従』に慶長3年(1598年)分が収録されて以来、宮廷史・政治史の根本史料として注目されるようになった。