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奥村左近太のまとめ
奥村 左近太(おくむら さこんた 1842年〔天保13年〕 - 1903年〔明治36年〕1月11日)は剣術家、奥村二刀流の創始者。岡山藩士・奥村安心の子。名は寅吉。
- この間に、伊予西条藩士・高橋筅次郎(田宮神剣流)が二刀を遣うのを見て、2年もの間、二刀を工夫し、左の大刀を横一文字に、右の小刀を大刀に交差し頭を庇いながら腰を引き、前かがみにする構えの奥村二刀流を編み出した。
- 1863年(文久3年)、回国修行を終え、阿部右源次より直心影流の皆伝を受け、奥村二刀流を開く。1871年(明治4年)、岡山藩が設立した武揚館の一等教授と藩の大参事(江戸時代の家老に相当)に就任。廃藩置県後は、士族の経済的な自立のため協信社などを設立するも経営破綻。武術団体として存続する形になってしまっている。
- 1884年(明治17年)11月8日に警視庁主催で東京・本郷の向ヶ岡弥生社にて開かれた全国的規模での撃剣大会で、朽原義次(柳剛流)に敗れたものの、真貝忠篤(窪田派田宮流)、松崎浪四郎(加藤田神陰流)、上田馬之助(鏡新明智流)に勝利、逸見宗助(立身流)とは引き分けとなり全国に名を轟かせた。さらに1885年(明治18年)7月20日に神戸の湊川神社で開かれた楠公五百五十年祭奉納大会では、高山峰三郎(直心影流)、高橋筅次郎などに勝利。優勝して剣名はますます高まった。
- 1903年(明治36年)1月11日死去。明治時代最強の剣術家の一人であったといえる。
息子の奥村寅吉が奥村二刀流を継承した。
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