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大坪砂男のまとめ
大坪砂男(おおつぼ すなお 1904年2月1日 - 1965年1月12日)は日本の探偵小説作家。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来。1951年に大坪沙男と改名<ref>探偵作家クラブ会報1951年7月号所載「改名由来の記」</ref>。
日本における鉱物学の先駆者である和田維四郎(東京帝国大学教授、八幡製鉄所長官、貴族院議員)の六男として東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷薬王寺町に生まれる。本名は和田六郎。
東京府立第四中学校から東京薬学専門学校(現在の明治薬科大学)を卒業。このときの同級生に映画評論家の岩崎昶がいた。
同校を卒業後、たまたま知り合った)</ref>。
その後、陶工を志したり、株に手を出したりした後、警視庁の吏員として鑑識課に勤務し、8年間在職。1932年には玉ノ井バラバラ事件を担当。このとき上司の妻と恋仲になり、そのことが原因で退職したと伝えられる<ref>山村正夫『推理文壇戦後史』p.218(双葉社、1973年)</ref>。のち画商に転ずるも、不注意で贋作を販売した責任を取って廃業し、長野県南佐久郡野沢町(現在の佐久市)に疎開。ここで敗戦を迎える。
戦後の封鎖預金で一般の生活費は月500円と決められていた時期、自由業者の場合は別に500円が追加されることを知る。美術商時代の知人の佐藤春夫が佐久に疎開していた縁で佐藤に頼んで弟子の証明を受ける。これ以後、佐藤に師事。
短篇小説「天狗」を佐藤の推薦で『宝石』誌に発表。これが代表作となる。1950年、日本推理作家協会賞受賞。香山滋、島田一男、高木彬光、山田風太郎と共に、江戸川乱歩から戦後派五人男と呼ばれたが、日本探偵作家クラブの運営資金を私費する醜聞を起こし、また寡作ゆえに貧困に苦しみ、柴田錬三郎のアイデアマンに身をやつした。肝硬変と胃癌で死去。
門人に都筑道夫がいる。澁澤龍彦と都筑道夫の編集と解説による『大坪砂男全集』全2巻(薔薇十字社)がある。
息子の和田周は劇作家。