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出口なおのまとめ


出口 直でぐち なお1837年1月22日天保7年12月16日) - 1918年大正7年)11月6日)は、大本の教祖。大本では開祖と呼ばれている。

天保7年(1836年)12月、農業を営む桐村五郎三郎の長女として現在の福知山市に出生。 出生直後から身寄りの近親者を次々と亡くし、また折からの天保の大飢饉などの影響により、桐村家は窮乏と貧困の極に達したため、幼少の頃から下女奉公に出て働くようになる。嘉永2年(1849年)には福知山藩朽木綱張公より集落の孝行娘として表彰されるほど真面目な働きぶりが評判だった。

嘉永6年(1853年)京都綾部町に嫁いでいた、出口ゆり(なおの叔母)の子となる縁ができ、養女となる。安政2年(1855年)には夫となる四方豊助を婿養子として結婚する。(四方豊助は結婚後、出口政五郎の名を襲名)

夫との間に数人の子をもうけるが明治16年(1883年)2月、五女・出口澄(二代教祖)を産む。

明治25年(1892年)2月、帰神(神懸かり)状態で13日間の断食となる。帰神状態となって大声の金切り声で叫ぶなどの奇行を行なうようになると、周囲の人々からの理解はなくなり、座敷牢に押し込まれるなどの虐待にあうが、入牢中に落ちていた釘で神の言葉を文字に刻むようになり、これが後年の「おふでさき」と呼ばれるものへとなって行く。

宗教を発足させた当初は、金光教の傘下として宗教活動を開始したが、かねてから独立した活動を希望していた。ようやく独立した活動が可能となったのは、明治31年(1898年)10月の上田喜三郎(のちに聖師・出口王仁三郎)の出現以降となる。(明治33年(1900年)1月、上田と娘の出口澄とを養子結婚させる)

大正5年(1916年)10月の神島参拝で、出口なおの筆先に「未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が五六七神の御霊・・・」という神示があり、これによって出口なおは、婿養子の上田こそ、本当の「みろく様」であったという確信に至る。教団では、この時を境に未見真実から見真実となったと言われているが、なかでも重要なことは、なおの神業的役割が王仁三郎に懸かっている神霊を正確に審神者することであり、大正5年の神島参拝において、王仁三郎への審神者を完了したことにある。

大正7年(1918年)11月6日昇天。享年81。綾部の天王平に埋葬されている。


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