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ミハイル・フラトコフのまとめ
ミハイル・エフィモヴィチ・フラトコフ(、Mikhail Efimovich Fradkov、1950年9月1日 - )は、ロシアの政治家、元首相。予備役大佐。
クイブイシェフ州出身。1972年にモスクワ工作機械大学を卒業後、1973年に対外経済関係省に入省。インドのソビエト連邦大使館の経済部門で勤務し、1981年には対外貿易アカデミーを修了した。1975年から1984年にかけて、ソ連国家経済関係委員会の対外貿易公団「チャジュプロムエクスポルト」に勤務。続いて1984年、国家経済関係委員会納入総局副総局長に就任。その後1988年、ソ連対外経済関係省対外経済取引調整・規制総局第一副総局長に就任した。1991年にはジュネーヴに派遣され、GATTのロシア代表となった。ソ連崩壊後の1992年10月、対外経済関係次官に昇進し、1年後の1993年10月には第一次官に任命された。
1997年にボリス・エリツィン大統領によって対外経済関係・通商相に任命され、1年後の内閣総辞職まで閣僚を務めた。1999年には再び通商相に起用。2000年5月にウラジーミル・プーチン新大統領のもとで安全保障会議第一副書記に就任し、その後、連邦税務警察庁(FSNP)長官に任命された。2003年にはロシアの欧州連合担当特使に派遣される。
2004年3月5日、プーチン大統領によって首相に任命され、第1次・第2次フラトコフ内閣を組閣。元経済官僚のフラトコフは対外貿易問題を専門とし、フラトコフ内閣のもとではロシア経済の好調維持と国際経済への参加推進が期待された。一方、プーチン政権を支える旧KGB人脈の外にあり、政治的にも比較的無名なフラトコフが大統領選挙を2週間前に控えた時期に首相に抜擢されたことは驚きをもって受け取られ、彼がソ連時代にKGBと繋がりがあったとする説も流れた。
2007年2月27日から28日にかけてヴィクトル・フリステンコ産業エネルギー相ら閣僚、企業家などを伴い訪日した。第2回日露投資フォーラムに出席した他、安倍晋三首相、麻生太郎外相、尾身幸次財務相、甘利明経済産業相などと会談した。領土問題解決の重要性やサハリン沖の海底油田開発プロジェクトの円滑な実施を確認した。
2007年9月12日、プーチン大統領に辞表を提出。大統領は全閣僚を解任し3年半にわたる在任期間に幕を閉じた。同年10月6日、ロシア対外情報庁(SVR)の長官に指名された。ロシアとのかかわりが深い佐藤優は、左遷どころかフラトコフにとっては大栄転だとの見方を示している。