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チベットのまとめ
チベット()は、7世紀頃に統一王国を築いたが、後代においては元や清の政治的影響を受けた。清の滅亡と前後して、当時インドを支配していたイギリスは、チベットへの侵攻を図り、中国国民党率いる中華民国との対立の間で、微妙な状況におかれた(シムラ条約参照)。
その後国共内戦に勝利した中国共産党率いる中華人民共和国は、1950年のイギリスの進入を契機に中国人民解放軍を侵攻させ、チベット全土を軍事制圧した。
中国政府は、それ以前のチベットは「9割が農奴」で占められていて、中国が農奴解放をおこなったと主張しているが、亡命政府のペマ・ギャルポは、チベットの大半は「農奴制」が可能な土地ではなく、大半が遊牧生活を行っていたとしている。 <ref> 西蔵之旅 1
――農耕に適さない西チベットの高地では遊牧生活しかない。彼らはヤクや羊を放牧しながら、僅かな草を求めて移動する生活を先祖代々続けているのだ。――
ペマ・ギャルポ講演会 2
――Q 中国政府が言うチベットの農奴制解放について(質問者:おばさん)
A そもそもチベットに農奴制が成立するような環境ではなかった。 第一、チベットのかなりの広範な地域では遊牧を行っていて転々と移住する人するので「農奴制」が成立するような環境ではなかった。「農奴制」という言葉自体が中国政府がチベット解放を正当化するために用いている言葉に過ぎないのではないでしょうか?でも確かに僧侶や王侯、豪族、貴族は存在し、それによってラサなどの都市では上に 納めることもあったが、それは歴史的に中国で もヨーロッパでもあったことであったといえる。――
Human-rights-of-Tibet3 The Life of a Tibetan Slave4 </ref> <ref>当時のチベットの状況は、20世紀前中期にガンデンポタン統治下のチベットに潜入・家居したなどによって書かれている。</ref>
その後、親共政府が樹立され、中国共産党下での存続政策をとっていたが、1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による併合」に抗議する運動(ラサ決起)が起こった。農業改革の失敗により、中国全土で数千万の死者を出したとされる大躍進政策の時期である。その後ダライラマはインドに亡命し、亡命政府を樹立。その後チベット自治区が設置され、中国の対チベット政策が苛烈になり、その後の文化大革命の影響も及ぶなどした。
亡命政府はこの時中国が、夥しいチベット文化の破壊・略奪とともに、チベット民族の120万人の虐殺をおこなったと主張しているが中国は否定している。<ref>2005年の中国網</ref> その後も独立運動を行っていたが、米中国交回復以後、米国の支援が打ち切られたとされる。
現在、チベットと呼ばれているのはチベット自治区だが、亡命政府は、青海省、甘粛省、四川省に併合された地域を含んだ「大チベット」を主張している。この地域は古来から交通の要衝であり、複数の民族が混住しているが、チベット民族が最も多い。