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エレナ・ヤンコビッチのまとめ


エレナ・ヤンコビッチJelena Janković, , 1985年2月28日 - )は、セルビアベオグラード出身の女子プロテニス選手。2008年全米オープン女子シングルス準優勝者。2007年ウィンブルドン混合ダブルスで、ジェイミー・マレースコットランド)とペアを組んだ優勝がある。2歳年下のアナ・イワノビッチとともに、セルビアのテニス界を代表する女子2強豪のひとりとして活動している。これまでにWTAツアーでシングルス10勝、ダブルス1勝を挙げている。身長177cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ヤンコビッチは兄の勧めにより、9歳半という比較的遅い年齢からテニスを始めた。2001年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップセルビア・モンテネグロ代表選手になる。故国が多難な歴史をたどる中、ヤンコビッチは2004年アテネ五輪のセルビア・モンテネグロ代表選手に選ばれたが、女子シングルス1回戦でコロンビア代表のファビオラ・ズルアガに敗れた。アテネ五輪の3ヶ月前、2004年5月にハンガリーブダペストの大会でツアー初優勝を果たす。2005年度は3つの大会で決勝に進出したが、いずれも準優勝で止まった。

ヤンコビッチの4大大会挑戦は、2003年全豪オープンから始まる。この大会では予選3試合を勝ち抜き、本戦2回戦でアマンダ・クッツァー南アフリカ共和国)に挑戦した。それからしばらく予選敗退が続いたが、2004年全豪オープンから本戦に直接出場できる力をつけた。2005年ウィンブルドン全米オープンの2大会連続で3回戦に進出し、徐々に実力を上げる。2006年ウィンブルドン3回戦で、エレナ・ヤンコビッチは大会前年優勝者のビーナス・ウィリアムズを 7-6, 4-6, 6-4 で破り、世界的な知名度をさらに高めたが、続く4回戦でロシアアナスタシア・ミスキナに敗れた。同年の全米オープンで、ヤンコビッチは初めての4大大会女子シングルス準決勝進出を果たす。3回戦ではチェコの17歳ニコル・バイディソワ、4回戦では2004年度の優勝者スベトラーナ・クズネツォワ、初進出の準々決勝ではエレナ・デメンティエワを破って勝ち進んだが、準決勝でジュスティーヌ・エナン・アーデンに 6-4, 4-6, 0-6 で逆転負けした。

2007年のシーズンに入ると、ヤンコビッチは女子ツアーで年間4勝をマークし、世界ランキングでも大きく躍進した。同年の全仏オープンでも初の準決勝進出を決めたが、ここでもエナンに敗れた。この大会では、ライバルのアナ・イワノビッチが女子シングルス準優勝者になった。続くウィンブルドンで、ヤンコビッチはジェイミー・マレーアンディ・マレーの兄)と混合ダブルスのペアを組み、決勝でヨナス・ビョークマンスウェーデン)&アリシア・モリクオーストラリア)組を 6-4, 3-6, 6-1 で破って初優勝した。

2008年全豪オープン準決勝で、第3シードのヤンコビッチはマリア・シャラポワに 3-6, 1-6 で敗れた。これで彼女はウィンブルドンを除く4大大会でシングルスのベスト4に入ったことになる。同年の全仏オープン準決勝では、ヤンコビッチとイワノビッチによる「セルビア対決」が実現し、ヤンコビッチはイワノビッチに 4-6, 6-3, 4-6 で敗れた。2か月後の8月11日、ヤンコビッチは初めて世界ランキング1位の座についた。全米オープンでは第2シードから初の4大大会決勝戦に進出したが、セリーナ・ウィリアムズに 4-6, 5-7 で敗れて準優勝に終わった。

ヤンコビッチはイワノビッチには分が悪く、対戦成績はヤンコビッチの2勝7敗(1つの不戦敗を含む)と大きく負け越している。

セルビア・モンテネグロの分離により、エレナ・ヤンコビッチは現在「セルビア」国籍でプレーしている。

エレナ・ヤンコビッチの目次
(出典:Wikipedia)

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